20×20作品制作開始

2000万人のミ+カンブログ愛読者のみなさま
おはようございます。
朝帰りの柚木です。

作品制作のため、テンションを上げるべく回遊してまいしました。(いい口実)

今日はたくさんの写真の中から、素材となるものをセレクトしていきます。
普段の仕事はアレもコレも同時進行で見積もり、打ち合わせを挟みながら
ゴンゴン進みますが、こういう(どういう)作品は精神統一が必要なんだわね。
すっごいエネルギーを使います。
静かな休日は制作も進みます。
私は、絵を描くのが小さな頃から大好きでした。
どれくらい好きかというと、「遊び」は模写やスケッチ。
小学校から帰り、画用紙に寿司湯のみを描いても遊べる子供でした。
その頃は、「ピカソ」を越える画家になるつもりだったんだよね。

まだ自分のスタイルも何も描いてもいないのに、
存在する全ての画家を越える芸術家になると信じてたからびっくりするわ!
一切絵に関係ない他のことは興味が無かった。
当たり前に、好きで鉛筆を走らせていた。

20代は絵を描く事は特別なことでした。
何か特別な精神状態にならないと描けない。
自然でなく、何か変わらないといけないように感じていました。
見る人をびっくりさせるような、衝撃を与えたかった。
そればかり考えていた気がします。
この頃の絵には、その苦しさがたっぷり塗り込められていた気がします。

25歳で子供が出来て結婚をして、離婚をして、
二人の子供を育てながら、個展をしないと自分が絵を描くことから離れてしまいそうで
無理に展覧会を開いていた気がします。
それが30代のころ。苦しみは最高潮に達し、絵を描くことがやらなければならない苦行になりました。
単純に、オーバーブッキングです。

絵描き、母親、稼ぎ頭、イラスト制作、会社を経営(できませんが)これら何本かのレールが
一本の線路を走る列車になったのは40代になってから。
絵を描くことは特別ではなくなりました。
私の心は絵そのものになりました。
身体には血でなく絵の具が流れています。
脳みそはそのまま絵筆になります。
広告へのイラストも、長電話の時に描くノートのハシの落書きも、食べることも
飲むことも、全てが繋がっちゃいました。絵を描くことに。
もう無理は無くなりました。
必要なタイミングで溢れてくるからです。

心は安定しなくなりました。
いつも喜びすぎたり、悲しみすぎたり、怒りすぎたり。
でも、それは面白いことだと思っています。
何も感じないよりも、過敏に反応するのは私にとっては面白いことで、
時には疲れてしまうけれど、いろいろなことを描くことが出来ます。

仕事でのイラストはみなさまのご存知の通り、自分が描いたのかわからなくなるほど、
様々な表現でまったく違うものを描きます。
個人的に描くものも、きっとそうなるでしょう。
そういうのが、私の好きなやり方です。
全てが横に並んでいます。

こんな私の側にいる人は苦労するのかもしれません。
写真は私が今まで喜んで描いて来た広告のためのイラストのほんの一部。
たとえサンマでも描いて嬉しいお絵描きバカの展覧会でした。

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