柚木ミサトの心「世界が100人の村だったら」

ごぶさたしとります。柚木ミサトです。

「世界が100人の村だったら」って知らん人はおらんくらい有名。

これを柚木ミサトイラストにしたらどうなるかなんてぼんやり考えて検索してみたら

こんなサイトに行き会った。

http://www.lifestudies.org/jp/tero08.htm#3

最後まで読んだ?

そこには、ドキッとする事が書かれてたよ。

「いまや大ヒットになっているこの文書を、あなたは、どういうふうに読んで「感動」したのか、それをもう一度じっくり再考してみてほしい。」

http://www.lifestudies.org/jp/tero08.htm#4

私は自分がめぐまれてると思い、世界がまだこんな状態である事におどろいた。

そして1、2、3と腹の中が変化していくのを感じ取れなかった。

「もう一度、私はしつこく言う。「よい話」は、いつでも「罠」に変貌し得るのだと。」

うひ〜、そのとおりです〜。


昨日、そんなようなことフェイスブックで友だちと話したばかりだった。

↓これを見ての感想だった。

「あなたならどうする?〜スーパーの障害者差別〜」

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=hwpNQ1NWzOU&sns=fb[/youtube]

勇ましい女性に拍手し、勇気を持たなくては!と思ったじゃない?

私もそう思った。そして何も言わない事を恥ずべきだと思った。シェアした。

同じようにシェアした友だちは自分であげた動画にコメントしてた。これって差別か?

「え?」と思ってさらに深く見てみると…よい話しは、いつでも罠に…豹変した。

〈勇気を持って立ち向かっていった彼女たちは正しい〉
弱者には寛容であるが、悪とする者に必要以上に不寛容なのではないか?
自分こそ正義だと思い込み、 他を排除しようと思う心は差別する心とどれだけの差があるだろうか?
まさに、差別ってそういう考えが起してるのじゃないか?

〈正義は悪に勝つべきだ〉
誰にとっても正義と悪は同じだろうか?
正義って何だろう?悪って何だろう?
そんなものはこの世に存在しないかもしれない?

〈障がいを持ったスーパーの店員が傷ついてかわいそう〉
罵倒する悪者とされる人が、彼を傷つけただろうか?
彼を傷つけるとしたら、何も言わない誰も助けない状態じゃないか?
そもそも、彼は本当に傷つけられただろうか?

〈障害者、罵るお客、何も意見せずやり過ごそうとするお客、立ち向かうお客、番組を仕掛けた人〉
この四つの立場の人に、それぞれの問題がある事に気がつかない?
それぞれの持ち場がやっぱりあったんだね。

私が身に付けたいと思うのは二つ。

一つは、
自分自身の強さ、寛容さ。
人はいつも聖人で入られないし、自分が傷つくこともあるけれど、
出来事をどう感じるかは自分が選択してることだって事に気がつきたい。
自分が苛立っても、傷ついてもほんと〜のところは相手のせいじゃないんだって事。
どう感じるか選んでいる、自分の心の問題なんだね。
それをふまえて行動したい。

二つ目は、
正義という宗教にはまらない。
差別の根本は、自分の考える正義から悪を排除する考えだから。
相手が引く境界線を非難しながら、自分も同じように境界線を引いているんじゃないか。
一つ目の考えから本当は、この世に正義も悪も無いのだと思うようになったよ。
この視点で考えていくことが全ての問題を解決する糸口になるような気がしてる。

これらはなかなか身に付かないけれど。
それぞれ自分を問うことやね。
それぞれの受け持ちはまず自分の心。誰かの何かのせいではない。
相手や自分に障がいがあろうが無かろうが、人として考えるべき問題がここにはあるね。
今まで感じてきた事を、もう一度ふかく考える事にしたよ。
こういうことはとても大事な事だと思う。今の世界が抱えてる問題も全て考えてみたい。

わたし、こうして考えるの大好きなんだ。とてもおもしろい。


イラストは60秒で描く記憶スケッチシリーズ お題は「うらしまたろう」

本文には関係ない在庫画像。

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