大事な瓦礫の話
瓦礫処理について徳島県がこのような回答をしています。とても納得のいく考えです。
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652
もうひとつ、私が一番疑問に思っているのは、瓦礫は現地で処理したくないのか?出来ないのか?
ちゃんと、聞いてみて調べてほしいのです。
陸前高田では市長が瓦礫を自分たちで処理して雇用を増やしたいと言っているのに国、県に話を聞いてもらえない受け入れられない、という事実があります。
http://blogos.com/article/33513/
何故でしょうか?
それから、瓦礫を使ったすばらしい防災対策もあります。大賛成です。
みんなの大切なものだった瓦礫です。とてもいい使い方じゃないでしょうか。
問題が、果たして本当に問題なのか。全てもう一歩も二歩も踏み込んで考えるクセを付けるべきですね。
無関係な人のお得を守ることになる無駄な痛みを分かち合う前に。
本当に必要なことは、みんなで相談して乗り越える心づもりはみんなきっとあると思うの。
その覚悟と知恵を使えば、バカな策を選ばなくても越えられると思います。まじで。
【全てに共通する問題点】2012.5追記
まずひとつ
その方法が最善であるという思い込みで、他の方法も同時に吟味されないこと。
これは、自分自身にも問いかけたいこと。
そうだそうだと思う人ほど気をつけなくてはいけない。
もうひとつ
勝手に相手を想像して、「こうに違いない」と妄想を膨らませて相手を責めること。
これも、自分にも問いかけたい。
そうだそうだと思う人ほど気をつけなくてはいけない。
報道の操作にまんまとのかって、自分の都合がいい所は無条件に賛成して、
反対意見にだけ厳しくなる事。
常に冷静でないと、ずる賢い罠にもはまる。
自分の心の小さなズルが、誰かの心の小さなワルモノが大喜びするエサになり
どんどん目的からずれていく。
そうだそうだと思う人ほど気をつけなくてはいけない。
誰もが幸せを願っているのに、
実は、本当に困っている人を苦しめる結果になる。
これらが、みんなの幸せから遠くなる大きな原因のひとつ。
全ての問題が、どうしてちっとも改善されないのか。
それには、
まず最初に、誰もがいのちを尊く思いながらも自分の生活ひとつ変えられない所に
大きな躓きが在った事を忘れてはならない。
私は、自分が正しいと思う事をやめようと思う。
私の願いを叶えるために正しいと思う事が邪魔になるから。