放射線に勝てるのか。

私がイラストを描いた「放射線になんか、まけないぞ!」のタイトルについて時々ご指摘もらう。

「放射線に人間は勝てない」と。

人体的にはまったくもって、そのとおりです。

今のところ、生身の人間の身体は放射線に勝てません。

 

この本のタイトル「放射線に負けない」というのは、放射線のために絶望したりあきらめたりしないで

しあわせに生きるためにあらゆる方法を行なう事です。

放射線になんか負けない心のことです。

読んでもらえばわかると思うけど、

この本は「知って、考え、変えていく」ことを目的としています。

放射線の知識だけにとどまらなかったのは、私は放射線だけが人を不幸にするのではないと考えたからです。

人を不幸するのは、放射線によって起きる差別、不安、絶望、あきらめ、体への直接の被害だけではありません。

「放射線になんか負けないぞ!」そのタイトルはウソでしょうか?

私は、ウソではないと思うし、いいタイトルだと思う。

この本がこのタイトルであった時、子どもはどう感じるでしょうか。買って与える大人はどう思うでしょうか。

この本が枕元にある時、心を弱らせないで元気づけることを一番に考えタイトルに賛成したよ。

このタイトルよりいい効果があるタイトルがあったら教えてください。

このタイトルで子どもを守る事やしあわせから遠ざかるなら、考え無くてはならないと思う。

でも、そんなことないと思うんだ。

 

この件については、五人の人から指摘もらってる。(たぶん)

ツイッターやフェイスブックで、直接も話したと思う。

今日は、群馬大の早川由紀夫先生から苦言をもらった。

—–先生のツイート——-

本のタイトルだというので、苦言を申し上げます。放射線に勝てる人はいません。戦っても無理です。RT @pelukiss: [「放射線になんか、まけないぞ!」読み聞かせ会のお知らせ]

———————————-

で、その考えをまとめておきたいとここに書いています。(これからももっと増えてくると思うから)

それに、早川先生がつっこみどころ満載だって思うなら、きっと引用して指摘してくれると思うで。

考えが深まるのはうれしいので、ご指摘もうれしい。

 

タイトルについてはこんなところ。

 

私は、仕事でもそうでなくても、いつも絵を描いています。

そのなかのひとつ、「あかいつぶつぶの絵」が魔法のお札のように放射線を遮るわけではありません。

あかいつぶつぶの絵を見て感じて考えて、その心が「被曝から子どもを守る行動をさせる」のです。

あかいつぶつぶの絵は、危険を知らせ、更に「だから守りたい」と思える絵だと感じたと多くの人が言ってくれます。

心が元気であること、勇気がわくようなこと、私はソコも織り交ぜながら心を強化するために進みたいと思います。

それが出来るのが私のチカラなのだと思う。

そして、こんなふうにも考えています。

用意されたものが自分の意に添わない時に、この本であればこのタイトルから自分の考えを伝えることに役立つはずです。

内容が足りなければ書き足すことによって、子どもは自分の考えを持つこと、与えられた情報が全てでないことを学ぶでしょう。

私たちに必要なのは、どんなものでも自分流にカスタマイズできると知ること。

人生でも、暮らす場所でも、仕事でも、幸せになることも、不幸せになることも、

自分が選べるということを気がついていきたいと思っています。

私は、全てのひとが成長できると信じている。その成長が全てを越える力になると思う。

私は、その部分を育てていきたいと自分にも思っているのでそこが私の得意なところだと思う。

 

私の行なうやり方がぴったりで効果抜群の人も居れば、そうでない人も居ます。

だから、よりたくさんの人が守られしあわせで居られるために色々な方法が要ると思います。

様々な情報や、様々な性質のものをどう組み合わせて、自分に役立てるかはセンスだと思う。

ちなみに、早川由紀夫先生のことは好きです。

愛があると思う。作戦もすごく深い。

数値や正確さと心のことと、じつに細やかだと思う。

忙しいひとだ、目的無しに苦言ツイートをするわけはないと思う。ありがたい。

何かの勘違いでも、私はこの指摘を自分のために良いことに変えていける。

誰もが、自分へどう影響するかの主導権が自分にあることを自覚して自分が行動することを考えていけば

どんなに世の中が変わるだろう。

なんとしてでも今を越えたい。自分が心から望むように行動するのに湧き上がる勇気が欲しい。

不可能を可能にする自分の力が欲しい。それが出来れば他人に手を貸すことなど朝飯前になる。

真剣に立ち向かうというのはそういうことでないかと私は思う。

世の中が嵐であろうと、身体が勝てない放射性物質があろうと、なんとしてでもあらゆる手を使って

進んでいく。

 

自分で知って考えて、選んで行動できれば、その人は何にも縛られず、

いざというときどこへでも飛び立てる翼をもつと思う。そうなった時に今願うことがいくつも叶えられると思う。

そして、誰がどこに居て何を考えて、何を選んでいても守られる権利があるし見捨ててはならんと思う。

 

2012.7.21補足

負けるのはんたいは、勝つじゃないね。

「幸せ」になるんだ。

そういう考えでの負けないだ。

負けないのは、勝つためじゃない。

そこが違うんだね。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)

  1. 柚木隆義 より:

    >>私たちに必要なのは、どんなものでも自分流にカスタマイズできると知ること。

    人生でも、暮らす場所でも、仕事でも、幸せになることも、不幸せになることも、

    自分が選べるということを気がついていきたいと思っています。<<

    「“人間は向上する存在”そして、主体性に目覚めることで自身の人生の主人になれる存在である」と言われますね。

    私は、「負けない=勝つ」である必要はないと考えます。至って精神的な意味を持つタイトルだと思って、私の“大切な存在”に紹介しています。

    • yugi misato より:

      ありがとう!うれしいです。わたしもはりきっていきます!

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