わたくしのこと


いきなり追記するわ。
伊藤比呂美の
育児の極意は「がさつ、ずぼら、ぐうたら」
これにしびれました。
これで清水の舞台から、わたくし、飛べました。
いきなりですみません。この先読めば解ります。

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わたくしは、子どもを育ててる時も「子ども大好き♡」でも無かったし、ゆるやかに子育てしたのは魚(長男現在20歳)が産まれた2年ほどで、その後はやたら忙しかったので自分の時間の多くを働く事に使ってきた。

友人が遊びに来ても、話しをする間を与えてくれない魚たち(娘も居る)に「私の友だちだもん!」と主張する始末で、子どもだからと許す事もあんまりなくてでも、子どもだから「早く寝ろ」とかじゃなく「私の邪魔だから」「明日起きられないと困るから(起きられれば起きてていい)」いちいち細かいとも傍から言われたけど理由を明らかにするのが好きだったのでちょっと変わった子育てやったかもしれん。

魚たちには、「大人も間違うかもしれないから子どもでも意見を言えばいい」と、小さい頃から言ってきたけど意見を言えば大人にかなうはずも無く、取りつくしまも無い忙しい母に、子どもとしては苦労したかもしれん。
子どもの意見を拾い上げ延ばすほど私も人間が出来ておらんかったし。
この効果は、出るのが本当に遅くってすったもんだの挙げ句、長い月日がたって今ごろ効いてきた。
魚ときゅうり(娘)は自分を主張する事を先にして、私を否定して私の所から父親のところへ移り、その後
話せる言語を持って帰ってきた。
http://www.mikanblog.com/?p=1731
このあたりのことは本にでも出来そうなくらいわたしたちを急成長させてくれた。
(まじ、描きたい)
これは、20年かけてわたしたち親子がしてきたやり方だったから成功したんだと思う。
成り行きとはいえ偏見を捨てて、子どもとわたしの判断に任せたから効果が出たのだと思う。
子育ても「こうすればいい」なんて皆に当てはまる事は無く、いつもドキドキである。
わたしの場合は、もともと細かいのでこれ以上よけいな事を考える暇がなかったのがよかったと思う。

魚がお腹に居ることが解ったとき、私は子どもを持たない人生を選んでいた。
けれど、魚をどうしても産みたいので産む決心が出来るよう色々調べてみた。
あらゆる本に書かれる「赤ちゃんのいる幸せなくらし」が私にとって魅力的じゃなかった。
お産革命などという日本のお産の歴史 を書いた本を読んだり。(けっこう恐かったのでこれしか覚えていない)
決定的なのは伊藤比呂美さんの「よいおっぱい悪いおっぱい」だった。この一冊で魚はこの世に生を受けた。
そうでなければ、私にとっては、子育てはきゅうくつで恐ろしく、自分の人生を犠牲にするイメージだった。
描かれた暗さと明るさに、生き物の曖昧さを許す度胸に救われた気がした。

それでも世の中と調和していくには、子育ては堅苦しく、ステレオタイプな幸せを推奨していて、そのように染まっていくのを許さなければならず気持が悪かった。 それがイヤならアドベンチャーファミリーみたいに誰もいないところへ行くしかない。

幸か不幸か(たぶん私には幸であったけど)8年間の結婚生活を終了して少し自由になった。
結婚については一言も二言もあるけど今日は触れない。
私の子のために書いておくけど、父親は天然だが、ゆかいで悪意の無いひとだ。子どもらも父親をたいへん愛している。

子どもたちは離婚した両親の間を自由に行ったり来たり、時にはみんな一緒に遊んだりしながら大きくなった。
わたしは、子どもを革ジャンモヒカンがたむろするライブにも連れて行ったし、
皆で集まったレストランの周りを結局食事の間中ぐする魚を抱い抱いてあやしたり
運動会で強制的に踊らされる「志村ケンのアイ〜ン」 をボイコットして娘に泣かれたりしながら
(わたしの美意識が許さないのと、ステレオタイプな親子の幸せ像に猛烈に拒否反応が起きた)
子どもをなんとか死なせず育てた。

毎日仕事でへとへとだったから、わたしも楽しくないと子どもと遊べなかったし、
もともとサプライズやお誕生日など行事ごとをスルーする家に育ったわたしは、
それらをついうっかり忘れる事も多かった。
変わりに、日々の暮らしはアイデアと演出で悲惨もハッピーに変えていった。
子どもが喜んで保育園へいけるようお腹や足の裏に絵を描いたり。(みんなの注目を集め、保育園で大流行りした)
ベランダでの食事、 余裕ある夕食時間のキャンドルナイト、トイレに常設された誰でも書ける「厠日記」
、子どもの大好きなバブルバス。追いつかない家事は、干しっぱなしの洗濯物から毎朝あわてて体操服を取り込むぶどう狩り、上靴を取り込む時はイチゴ狩りと呼んで楽しんだ。
ストレスがたまった時は三人でトイレットペーパーでミイラ男に変身してティッシュペーパーの海を泳いだ。

仕事ばかりしていた。家での仕事だったからなんとか子育て出来たけで。
愛情はあると思うけれど、サービスする気が全然ない子育てだったと思う。

お金の苦労、子どもへの接し方、自分が生きるということ、たくさん考えて、笑いもして涙もして。
離婚も母子家庭であることもけっこう何とかなるもので、
得た自由のほうが大きく子どもへのメリットもあって傍目ほど悲惨でなかった。
でも、一番不自由だったのは、決めつけられた理想の家庭、親子関係、母親像だったと思う。
わたしが育てたのだから、何が起きても解決する手だては自分の手中にある。
要らぬ苦労をしたのは、いつも、常識という偏見だったと思う。
そしてこれらが、子どもを持ちたくないと若いころのわたしを決心させたものであったし、
今もなお人の間に壁をつくり、問題が無いところに問題をつくる呪文のように作用していると考えてるんだわね。もっと楽に出来るのに。一番苦しかったことが、思い込みだけだったなんてバカバカしいと思う。

子どもは面白い。
でも、わたしはそこらに居るどの子も全部好きじゃない。(当たり前だ)
保育園にいく年齢になれば、もう周りの大人の影響でイヤな性格もでてくる。
こっちもムカついたらムカついた態度をする。その子と解りあえば好きになる。
わたしは性善説を信じているし、人はその人が置かれる条件によって態度や感情が変わると思う。
大人でも子どもでも相手のせいでなく、自分の経験や考えが好き嫌いを選択させる。
それらもふまえて
「子どもだから」と思わないこと、「子どもだから」と思うことを
いちいち明確にしていくことはとてもだいじだと思っている。

「わたしのやる事には全て理由がある」そう思ってやってきた。
わたしにしか理解出来なくても。
理解者は、わたしの二人の子どもだった。
いつか、三人で話し合ってみたいと思う。
(そこに父親もいてもいいかもしれないが、その次だな)

子どもが近くに居ない人は子どもの特性を知らない。
うっとおしくても嫌いでもいいとおもう。
けれど、世間は子どもを愛せと言う。
「子どもだから」ではなく、その人として付合えるか付合えないかでもいいんだ。
子どものこともカテゴリーに入れないで考えたいと私は思う。

子どもだって大人だって同じだ。けれど子どもは放っておくと死んでしまうので
その能力がある大人が気遣って育てるのは当たり前と思う。
ご飯と安全はあげるけど、ムカつく時はムカつくわよ。って。
好きな時は好きだわよ。

そう思いながら出会う子どもと付合っていきたい。
もちろん、子どもがわたしにムカついたりするだろうけど。
そういう大人が居てもいいじゃん。
お互い延ばし合えるもん。

わたしが持っていなかった、や、気付いていなかった愛を子どもを産んだ事で発見出来て私の人生におおいに役立ってる。
わたしの子どもがわたしを愛してくれてるおかげだし、
わたしが自分の我がままを通したおかげでもあると思う。
これからも、自分の感じ方でわたしを生きていく。
わたしの軸足ははっきりと私の人生にある。
子どもの軸足も、はっきりとその子に無いといけない。
そうでない事に、そうである事に、ずっと注目していく。

わたしは、そんな事を考えながら子育てをしてきたのである。

子どもの都合のように大人の都合を押し付けてはならん。
それが子どもを守る事だ。子どもを生かす事は当然標準装備。

私の離婚への一番の理由は、性格の不一致とか価値観の違いとかそんなものじゃなく、
もっと大きな世の中との軋みに何もかもがわからないまま拒否したんじゃないのかな。
これを書きながらそんな風に思った。

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