性善説
私は性善説を信じている。
人は本来自分が脅かされなければ、分け与えるほうが気持がいいからだ。
そのときにどれだけ欲張るかは、その人のおかれた環境や経験によって差が出るのでは無いかと思う。
だから、足りれば奪わないんじゃないか。
足りるを測る目盛りは間違っていないか、分け合って暮らすのに過酷な状況じゃないかを
よく考えることが大切だと思う。
どうして奪わなくちゃいけなくなったのか、傷つけなくてはいけなくなったのか、
「まちがってる!」というのはやめたらダメだと思うけど、
「どうして?」も考えないと、誰かが辛い我慢をしなくちゃならない。
世界中で分け合えるようにしたいな。
アメリカが日本を食い物にしているというのなら、アメリカに何が足りないんだろう。
テロがあるのは、みんなに何が足りないんだろう。
戦争があるのは、みんなに何が足りないんだろう。
日本がこんなふうなのは、みんなに何が足りないんだろう。
「あなたは何を心配してそうしてるの?」
理由無く人は行動しない。原発のことも、放射能の事も。
あたまっからNOだけじゃ、すごく時間がかかるし、犠牲が大きい。
世界で、今までもNO!と、くり返されてきたけれど。
進まないのは、NO!だけで、「どうして?」が深まらないからだと私は思う。
そもそも善行が快楽である人間が、なぜ他者を犠牲にするのか?
そう考えると、深めどころが見えてくる。