心の痛みを忘れるほどのびのびイソイソ生きること

原発反対!子どもを守れ!
みんなそう言う。
けどさ、いったいどんなイメージを持ってるんだろう?
原発がまた事故に遭うとアナタに何が起きるのか。
いまの状態だと、何が原因で誰に何が起きるのか。
みんな具体的にどんなイメージを持っとるんだろう。
私は考えたよ、調べて想像してみた。それから考えた。考えた。考えた。

わたしは自分の考え方が、みんなとちょっと違うかもしれないと思いはじめている。

なんで被曝を避けるのか。
「イヤなことを強制する暴力」わたしは無くしたい。
それが、何であっても。
原発も被曝もここから反対している。
健康にどれだけ影響するかは別のこと。
まず、
健康に被害が無くても気持わるいだけでも、十分な理由だと思っている。
その上、
理不尽な心配事を背負わされてるひと(わたしもだけど)が居て、調べりゃ心と身体の健康にも影響が無いとはいえない証拠ばかり。
その心配を強制的に背負わされるのは間違いだ。
だから尚更だけど、どれだけ危険であるかが焦点になるのは違うんだ。
わたしはずっと、ひとりひとりがのびのびイソイソ生きることを邪魔されないで手伝ってもらえる社会を目指している。
それを行う時に他を犠牲にしないで出来る方法を話し合える社会を目指している。
なぜなら、いま出来ないことが出来るようになるからだ。これからどんな事が起きてもしあわせになり損ねないようにしたいからだ。
身体も心も全て、誰一人ももれなく救いたいからだ。
安心して生まれて、のびのび生きる。これがいのちだ。いのちがクリアすべき条件はいっこもなんにも無い。
そうやって全てがもれなく自由に生きるためには
被曝と原発を避けるだけじゃまったく不十分だと考え至った。(むっちゃ考えたんだ)

健康被害の証明ばかりが注目されて、出るはずも無い答えを証明するのばかりに時間をとられ、そのためにも心を痛ませ苦しむ人が増え続けている。
バカじゃないのか。減らすための議論で結果余分に増やしてどぉする。これで病気になるわ!
2013年の震災と原発事故が起きて今までとすっかり変わってしまった。私たちが苦しむのは、その前から苦しんでた人達のところへ仲間入りしたからだとも思う。

わたしはのびのびイソイソ生きることを許されない事に猛烈に反発する。
自分が大事に思っている事を、他所から強制的に邪魔される事を大至急無くしたい。
そこに当てはめると、原発で電力を賄う事や、被曝を強制する事が他を犠牲にすることになる。
だからね、目指してるのは誰もが生まれ持った権利を尊重され人生を満喫する事に向かってるの。
そこを鋭く細かく気にし続ける。
被曝を避ける事も原発を無くす事もその中のうちのひとつ。
全てを理解して望んで被曝するのなら尊重する。険しい山に登る事と同じ。

わたしは性善説を信じているし、みな同じ価値観なんて持てないと思っている。(持たなくていい。持つのは尊重する心だ)
善悪、正義じゃない。いま、そこでしたい事を叶える。「〜するなら」「かわいそうであること」「善人であること」などという手前勝手な条件は無い

飢えてる人にパンが与えられる事と同じに、自由を求めてる人に自由が与えられるものだと信じている。どちらも他を犠牲にしないで行う方法で。

人生はもっと楽しい。誰もが昔よりもっともっと喜びにふるえて生きられるように。
助けるためじゃない、それを軽やかに通り越して、ついうっかりよろこぶためにはりきっている。
もっと、もっと。

コメント (1)

  1. 佐藤秀明 より:

    ついうっかりよろこぶためにはりきっている。っていいですね!!
    なんだか楽しくなっちゃうためにこそ、人生あると思います。
    その瞬間が至福の時ですもん。

Leave a Reply to 佐藤秀明

CAPTCHA


訪問中 :