放射性物質と学校のこと
〈大切なのはいのちの満足〉
私は人は自由にのびのびと活きるために生まれてきたのだと思っている。
誰もが自分の満足のいくよう生きられる、
「いのちのまんぞく」が一番大切だと思っている。
基本的には得たい喜びのために、いのちを危険にさらす自由も尊重している。
スタントマンや、登山者、冒険家、たくさんの人が危険を承知で行うことを辞めさせようとは思わない。
〈放射性物質と生活ゾーン〉
だから放射性物質をどれだけ食べるのか、食べないのか、それも大人は選べばいいと思う。
「50ベクレルならいいわ。」も、また自由だと思っている。
自分の人生のスタイルに合わせて、生活ゾーンを選択すればいい。
それが満足に出来るようなサポートが電力会社と国から必要だ。
買い物するお店も選ぶことになる。
私は東京電力のまき散らした放射性物質が何十ベクレルも入っているものを常食するのはイヤだから50ベクレル以下は出しません!ってキリッとしていわれても、そこのお店や企業が所属するゾーンでは買い物をしない。
企業が起した事故での被害なのに、許容してしまうことに流されていくのを止めるのには時間がかかる。
ひとまず、自分の納得する理念で商いをしている人たちとの社会を育てていくしかない。
徹底的に計測してオープンに出来なければ、そこは選ばないということだ。
商いする人が徹底的に計測しないってことは、ソコ気にする人には同じゾーンで生活してくれなくてもいいと思っているんだと解釈出来る。商いする側も選ぶ自由はある。
「私はその食品を買わないよ」というけれど「その食品を作っちゃダメだ」とはいわない。
補足:生活ゾーン
この世は見えないけれど色んなライフスタイルが混在している。それを選択して生きているんだと思う。
それぞれのライフスタイルによって生活ゾーンが違う。よりナチュラルに生きたい人はマクドナルドは利用しなかったり、無農薬を信念にするレストランに国が強制的に農薬野菜を使わせたりしない。各ゾーンは尊重されスタイルの違う生活ゾーンのあいだで問題が起きぬよう話し合われるのがいいと思う。そこを思い出したい。だから、今の放射性物質の扱いは、そのゾーンの願いを無視した暴挙が問題だと考えている。
〈放射性物質の被害は電力会社と国による理不尽だと忘れない〉
もちろん、生産者は満足いく生産物を作れなくなったと思うなら
私たちも一緒に全国協力して訴え、たすけあってのびのび満足して商える方法を探し叶えられなければならないと思う。
これは、国と企業による理不尽だからだ。
そこはぜったい忘れない。
(作らねばならない人、食べなければならない人のことは長くなるので別の日記でふれる)
このさき、そうやって整理されていくのだと思う。そして淘汰されていくのだと思う。
〈学校は特別な聖域〉
学校、保育園や幼稚園もふくめて子どもの集まるところのことは特別に考える。
この先、子どもらがどんな考えを持っても良いようにしておくのが大人の役目ではないか。
避けられないならいざ知らず、避けられるのだから。
食品の地産地消などにこだわる人も居るようだけど、そんなもんは大人の世界で成せば良いことだ。
計測の必要のない産地の食品を使うのがいい。
理由を話し、子どもにも大人にも理解してもらえばいい。
大人の努力で越えられることだ。
皆の考えが除染止まりなのが私には理解出来ない。
放射性物質が降り注いだ場所は、徹底的に除染を続け放射線を遮蔽した環境を作るのが当然だと思う。
汚染前と変わらぬ広さで。
ドームで覆ってもいいくらいだ。そのためにもっと働かなければならないのなら働く。
間違いのない環境を作らねばならない。
子どもが将来自分の考えを持ったとき曇りなく生きられるように。
そういう理念で学校は在るもんだ。
〈求めていくこと〉
だから、大人も望むのなら諦めずにその場所での願いをはっきりと表さないといけないと思う。
その願いをみんなで手伝うことを惜しまない。
しつこく言うけど、これは、国と企業による理不尽だからだ。
あきらめの我慢があってはならないんだ。
好んで放射性物質を体内に取り込みたいと願う人がいるだろうか。
血は流れていないけれど、この不幸を放置しちゃいけない。
間違っちゃいけないのは、それぞれの人生の満足を叶えることだ。
不幸を避けるために別の不幸を押し付けることではない。
放射線にさらされなければ何でもいいわけじゃない。
いのちの納得と満足を忘れちゃならない。
方法はまだわからない。
ひとつとしては、こんなのもアリかと思う。
願わなければ叶わない。
始めなければ叶わない。
こんなにしたら移住しなくなっちゃう!って思う人もいるかも知れない。
お金がいくらかかるんだ!と思うかも知れない。
移住をすすめるのは被曝から身をまもりたいのではなかったか。
よく考えて欲しい。私たちはお金には換えられない「いのち」を被曝から守れと言ってきたのではないか。
いのちを天秤にかけているのは「アイツラ」だけではないんだよね。
「すべてのおとなが、すべてをのりこえて、こどもたちをまもれるように」
私は初めから願っている。不可能とか絶望とか思わないで。今持ってる力で出来ることなんだから。
もし、これが叶うなら、こんなにしてもらえるならどこに暮らしてもしあわせにやっていけると思うかもね。