出た元気が振り出しに戻る時に
2011年にあかいつぶつぶの絵の画家として初めてイベントに参加した時、私はまだ子どもたちとはなれた傷が癒えなくて、子どもの姿を見るのも辛かった。
歌ったり踊ったりする姿も、お母さんに叱られながらも手をつなごうとまとわりつく様子も、胸が引き裂かれるように辛く、その場をそっと離れた。
たくさんのイベントに参加して、子どもを守るんだから子どもがうじゃうじゃ居るわけで、私の絵を喜んでくれる人もたくさん居て、いろいろな人のたくさんの悲しみも共有していくうちに、元気が出てきて子どもたちとも動揺せず接することが出来るようになった。
弱っていた心は原因が無くならなくても癒されるもので、いまは元気を取り戻してニュースやタイムラインで見かける子どもの行事や写真に、涙することもなくなった。元気が出たことはもうホントに助かっているけど、ときどき突然淋しさや辛さが襲ってくる。
辛いことがあって時間が経って元気が出たからって、ずっと心が元気になったわけじゃなくって、元気なところが増えただけで悲しい切ないとこは、あいかわらずそこにじっと居るんだと思うから、どうかがっかりしないで無理をしないでと思う。
こころはコップの水が満たされるように満足していくものじゃないから。
そう思っておくと、ちゃんと出来ないことがあってもショックを受けなくていいって思う?でしょ?
元気になったはずなのに、どこからこの悲しみがやってくるのかわからなくて動揺していたから、こう考えて「ああずっと居るのね〜」って思ったらちょっと落ち着いて、時々襲ってくるものをのんびり悲しむようになった。私以外に役に立つかわからんけれど、早く元気になれない自分を悲しむ人が居なくなるといいなって思う。
受けた悲しみで十分だから、うっかり上乗せするなよ。