何が違うっていうと
こんな気がするんですよ。
量的には落としどころがあると思っています。
自分で選ぶので基準値もいくつでもかまいません。
放射性物質が含まれている食品を生産販売する事もかまいません。
ただ、「選ばせてくれ」
危険か安全かとは分けて「自分に選択権がない」ことに
放射能の話ではなくても異議を唱え続けるスタンスです。
選ぶのが被爆する事でもしない事でも
選択していく知恵と覚悟と社会の状況を整えたいのですね。
どこが自分に妥当かと他者に口出しされたくない。
なので、
食品の測定方法と検出限界となんベクレルキログラムだったかを表示するのが当然でしょう。
100以下はNDと表示しますとか、なめるんじゃないわよ。
学校では「教育の理念」として、
給食には、すぐさま西の野菜を使うべきだったと
今でも強く思います。(なんだったら今からでも)
次もまんまとだまされて、子どもを危険にさらさないように
ここの理念は話し合われないといけない。
それに伴う問題は大人が協力して解決しなきゃならん。
子どもに被せない。
学校がマーケットとしてとらえられている事以外に理由はないように思います。
学校はマーケットでなく子どもの健やかな教育のための場所ですから。
それで自然にニーズが定まり望まれるところへ供給すべき食品が行きます。
淘汰もされていきます。
自分の好みの生き方を選ぶとき、生活スタイルを変えていく必要もあります。
そして
みんなで、それぞれが「自分の選択基準」で守るのを助け合う。
目指すのは「手伝うからお好きにどうぞ」