わからない

大好きな叔父が昨夜緊急手術。
脳ヘルニアだったのだけど、厳しい予告に反して徐々に希望が増えてる。
かならず、笑って酒が飲める日が来る。

昨年四月に亡くなった母、みよちゃんと通った久しぶりの病院。
昨夜は叔父に会ったら帰るよう言ってくれとみよちゃんに祈っていた。
昼頃CCUを覗いた帰りに思い立って、みよちゃんのリハビリ担当の先生にご挨拶に行った。
「落ち着いた?娘さんのほうがガクッと来てない?だいじょうぶ?」そう聞かれて、とっさに「わからない」って答えた。
泣けてしもうた。
「わからない」です。

叔父の生死がまだわからない待合室にいたとき、そんなに連絡は取らないけど仲のいい友人から何度かめずらしい着信があった。
かけ直してみると、パートナーが命を閉じようとしているという報告だった。
何かもっと話したかったのか、心細かったのか、
死んでいくかもしれない命をお互い抱えている偶然を
話す気になれずしばらく話をしてから電話を切った。

人はいつか必ず死ぬ。
死ぬのがこんなに悲しいのはおかしい。
生きているのはすばらしい。
生きたいという気持ちも、生きていたいと願う心も、生きる生かす努力も減らしはしないから
死ぬのが辛すぎたり悲しすぎたり、恐ろしいいのは無くして欲しい。

毎日、毎時、毎分、毎秒、人はばたばたと死ぬ。
でも、今、生きてる人もうじゃうじゃと居る。
生きてる時もその命がヤバい時も同じに大事に。
同じに手助けをし合って。

生きるのも同じように、辛くないことであって欲しい。
心も身体も痛まないで欲しい。
そうして、誰にでも絶対に在る「今」に注目したい。

叔父はまさるという名だ。
勝と書く。
必ず勝ってくれると思う。

〈追記〉
2015.2.16
勝、意識回復♡勝ちにいっとる。

2015.2.17
なんか、叱られた。
「迷惑はかけてもいいが、心配はかけるな」と言うておったので、
まあ、そういうことなのであろう。

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