知ろうとすること

『知ろうとすること』と言う本が出てる。
http://www.1101.com/shiroutosurukoto/
大変な売れ行きである。絶賛である。

でも、この『知ろうとすること』は、私を傷つけちゃったのですね。もんのすごいイヤな本だった。何がイヤなのかうまく言えなくて3回も読んじゃったがね。私の勝手な「つもり」から糸井さんがこの部分では違う考え方をしただけです。
わざわざ賛成しないことを書くのもいかがなものかと思ったんだけど、賛成じゃないこともべつにいいではないかと思い直して書こうと思う。ちなみに、わたくし糸井重里さんは大好きだし、ほぼ日もちょこちょこ読むし、やっぱりこの人にインタビューしてるぅ〜さすがぁ〜とか、わりとごひいきです。今でも。

このたび、バリ島で2回追加読みして思ったことを書こうと思う。
『知ろうとすること』には、冷静に読んでみて放射線について知ろうとしなかった人のために書かれたもので、実際私の知ってる多くの人の中で誰に当てはまるのかというと、意外に「この人が読むといいかも」が思いつかない。こりゃ困っちゃったな、なのである。放射線について余分に不安になってる人を助けたいのかも知れないけれど「先生がこういってるから」で、助かっちゃうような判断はもう止めにしたい。

何かからの指示や後押しが無いと心が不安定になってしまう要因が、子どもを守れないような社会を作って来たんだと考えているから、同じ手で越えていいとは思えない。私たちが持っている賢さや能力、権利を思い出せる最大のチャンスを、かわいそうだからと甘やかして同じことを繰り返す隙を差し込むことになるから私はやらない。

「読んでみて!いい本だよ!」けっこう好評。そうかなあ。いいのかなあ。

早野さんというどうやら真面目に取り組んでるらしい人を、あの糸井さんが感心してこうまでして伝えようとしていることに安心していないか?糸井さんのいう、より正義を語る人を避ける理由と何が違うのかなあ。声が静かなだけで、スキャンダルを利用していないだけで、誰かの言ったことをそのまま信じて行動を起こすことを促してるじゃん?書かれている「なるほど」に、私は「なるほど」と思えなかった。
私はずっと原発事故で起きた問題を考えて来て、誰もが窮屈でなく自分の考えを育て、その間守られるはずだったものを少々多めでもいいので守り合いながら待ちたいと思った。だって、どんな考え方に行き着くかわからないもの。身を委ねた子どもが将来自分の考えを持った時に、その子にとってマイナスから始めなくていいように多めに気をつけておきたいじゃないか。年間何ミリシーベルトなら大丈夫かという話からはとっくに卒業しちゃってる。これは健康問題じゃなくて、人権問題だと思う。
書かれている内容と方法から考えると、この国に今どんなにおバカな人がうじゃうじゃいる設定だろうかと思う。読んでみて欲しい。読んでみなくていいものは無い。

私たちはバカでもないし、強欲でも薄情でもない。「キミたちは小さくて弱くて愚かだけど歯を食いしばって苦労すればソコソコのしあわせをつかめる。ソコソコの変わらない日常こそが一番のしあわせだよ」と、生まれた時から呪いをかけられて来ただけ。だから、私たちが「知ろうとするなら」、自分の事は自分で考え納得するプロセスがあってこそ、この先も愛する人を守り生きていくことが出来る。その速度ややり方は、それぞれ違うのだから他人のプロセスによって、自分の持つべきプロセスを邪魔し合うような考え方をしなくていいんだってことじゃないのか。

まず、自分の考えを自由に表現しても構わないことを互いに承知して、大きい声の人がいても、取り乱す人がいても大丈夫だよと思えるよう手伝い合うことを広げていくのがいいと思う。私も考えて考えて、揺らがない自分を育てて来た。それを私の子に伝えたい。もし、伝わるなら、私の子はこの先も自分のチカラでしあわせを生み出していく。私は私の愛する子どもにするように全て考える。そうすれば、濁らないで愛しく考えることができる。

 どんな景色を見ているかによって行動は変わってくる。私は騒がれているほど、私利私欲にまみれた人は居ないんじゃないかと思う。見えている景色やしあわせの基準や、あらゆることの「つもり」のズレが想像するよりも大きいことが原因で困難が解決されないのだと考えている。それが合っているなら、今起きていることの説明がつくし、そうならば私のやっていることが証明していくと思う。

私は自分を過小評価しない。思い上がりもしないけど、夢中でやることは得意。ものすごく楽しい。私の考え方は主導権を他所に渡さないから。誰かに邪魔されることが不可能な方法だから。

だから、もう、私のいのちは満足している。

いっかい話してみたいなあ。だって話せばたいがい「そうだったのか」が出て来るものだ。
この本が大人気でも、私は何も困らない。自分が痛くも痒くもないことにこの世の中はうるさすぎる。私もまさにうるさいけれど、ここはあたしのお好みでなくってイヤだったんだもの。イヤなことはイヤっていえばいいのよ。
私はこの本が何でイヤなのか「けんきゅう」したら、私の足りないことがわかったよ。そこを強化すればいい。機会があれば読んでみて。そして役立てていくタフさを身につけよう。

うん、やっぱり役に立たないものは無い。

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