生き物は食べ物。

小道に入って絶景を眺めていたら

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カメラ構えてるんるんとお散歩していったら田園の先の沢に斜面があって、岩陰にライフルを構える二名の戦士が。
ヤバァ〜と思ったら彼らは銃を持って近づいて来た。殺意はなさそうだけれど笑顔は無い。
彼らが射止めるのは…

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私がたいそうおどろいたので、リスを持ち上げて見せて説明してくれた。
今宵開かれるパーティーのごちそうなのだそうだ。
食べるとは聞いていたがやっぱり食べるのね。ヤシの木の間を飛び交うリスはとてもかわいい。沢に生えるヤシの木は高さがあって身を守り易いし、食べ物である爬虫類や昆虫が豊富にいてリスがたくさん住んでいる。
食べ物が捕れてうれしそうだったし、子どもや家族と炭火で焼かれたリスに舌鼓を打ち和やかに笑い合い食べる様子が思い浮かぶ。
こちらでは、家族で食卓を囲む習慣が無いので、今夜はちょっと特別な集まりなんだと思う。六匹のリスが捕れて良かったね、楽しんでね、と自然に思った。

私はリスを食べたことは無いけれど、いのちを分けたり殺めたりしながら全ては生きる。生き物は食べ物だと考えている。
そして、どんなものにも宿る魂は永遠だと信じていて、入れ物であるボディを取り替えながら永遠に存在するのだと思う。魂は自由に生をエンジョイしながら、ボディの細胞を分け食い合い、ときどき殺められたりうっかり死んだりして、最後も食べ物として他の魂のボディを生かす。そうしながら魂は永遠の旅をする。だからといって私が今を生きる方法に変わりはない。たぶん、魂は感じたり思考したり今を満喫することが大好物なのではないかと思っているから。コミニュケーションが出来るなら、草や木、全ての細胞に今が満足か聞いて願いを叶えたたい。

人も土葬で土に帰るなら、土の中の微生物にとっては大切に飼われた家畜みたいな食料なのかもしれない。

宿のシロちゃんは血液を分けてダニを生かしている。かゆいので取ってあげたけどダニにとっては理不尽な災難である。そんな理不尽までも包括しているのがこの世にある寛容なのかもしれん。ますます死ぬことに抵抗が無くなっていく。火葬は食い逃げなのでなんとか土葬で土に帰りたい。どうせ役に立つなら家族の食卓に上りたい気分だけど。まあ、私も身内に食卓葬を遺言されたら卒倒するだろうから発想が自由すぎるか。
でもさ、食べもせんのに殺めるというのは全宇宙が卒倒することじゃないかと思う。

ああ、でもじゃあ、シロに付いたダニは。。。。
解明できんなぁ。けどしつこく考えていくのである。

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