「わぁ、おもしろいことやっとるね!」
事実と違うことを思い込むことがある。
50年も生きてくると、思い込んでいたことと違ってたなんてことがたくさんあったことに気がついてくる。
それどころか、ほとんど事実と違っている。
「すべてを知ることはできない」という自然の法則があるのに気がつく。
誰もが自分の立っている場所からしか見えないのだから「〜なんじゃないか」という憶測は何人分重なっても憶測でしかない。
正義感も邪魔をする。
そう考えるようになって、ならばどうしたらいいかもっと考えてみた。
対象が個人なら本人に確認するのが一番いい。
できるかぎり誰かの憶測や、自分の憶測を信じ込まないで、事実を求める。
本人不在で恨みや偏見を盛らない。
コミュニケーションの不足や下手が、すべての問題を生んでいる気がしてならない。
ちょっと元気が出てきたから追求していこうと思う。
得た情報を信じ込むとぱぁ〜っと目の前の色が変わるように思う。
それが、晴れやかなものだと状況はちっとも変わっていないのに、ウキウキとした気持ちになって元気が出る。
その元気なエネルギーで行動したり考えたりするから、うまくいくことが増えるし進む一歩の歩幅が広がる。
その積み重ねがHappyを増やしていく。
ちっとも不思議なことではないし、現実的な方法だと思う。
得た情報から何を拾うかによって、ぱぁ〜っと何色に変わるかが決まる。
世の中が悪い人に囲まれていて絶望的になったり、目の前の人が意地悪で憎むべき人になったり。
心が真っ暗になることもある。
何を見出すかによって、行動が変わり積み重ねでどんどんその色が濃くなっていく。
現実的で、昔から使われている方法だ。
目の前が何色かを自分で確認して考えて選べることを内緒にしておけば、誰かの行動を操ることもできる。
これは、政治の世界でも友達同士でも、どんな場合にも有効。
では、目の前がいつもハッピーに見えるような選択が正しいのか。
それも違うと私は思う。
私がそうしてきたように、自分で体験して望むならたどり着く。
もっと早くにこんなふうに考えられたらよかったのかもしれないけれど、私は経験したことで自分で考えて納得したから「なるほど」と思えたわけで、
必要でなかったことなどないように思う。
だからこそ、今、確信を持って「誰かの選んだ色に染まらなくていい。」と思える。
だから私は、誰が何を考え何を体験していても
ソコからひっくり返すアイデアを湧かせることを研究するのを
自分の人生の楽しみに加えたい。
これは難しくてとてもおもしろい。
どこかでこんなことをしてる人に会ったら「わぁ、おもしろいことやっとるね!」と、きっと思う。
たぶん。