ていねいにあつかうこと(やっとこさ気がついた篇)

何かがおかしくなって、ずっと体調を崩していました。
体調が優れないこともわからなくて、何かおかしいと思っている状態が普通になっていきました。
十年ほど前には、やっぱり変だと思って病院へ行って点滴をしたり漢方をもらったり、
病気みたいに心も体も重いのに、病名もつきませんでした。
確かに気力も体力もないのに改善の方法が見つかりません。

「近所のクリニックの看護師も、みんな自律神経失調症だよ」知り合いの内科医は言いました。
なんとなく気が晴れなくて調子がよくない。
そういって診察に来るのだそうです。

そしてまた月日が経ち、2011年に東日本大震災が起きました。
これで、また自分の様子がますますわからなくなっていきました。
心身がどうであれ、火事場の馬鹿力のようなものでどんどん動けました。
危機感が突き動かしていました。

真剣に問題を考えていくうちに、一番の問題は状況ではなく受け止め方、心の中で起きているのだと考え至りました。
外に対して意思を示すにも改善を働きかけるにも、まず障害になり問題を越えられないほど大きくするのは心でした。
心を考えないで改善はないと思いました。
状況を改善するために働きかける一方で、私は「きゅうりちゃん」というキャラクターを使って、心に向かってじっけんとけんしょうを繰り返しました。

じっけんの中で気がつきました。
私は改善を願うあまり他を変えようと思っていました。
けれど、自分を考えたら自分の心を変えるのは自分でしかありません。
いい考えは取り入れたいけど「教えてあげる」なんて言われても自分でじっけんして納得しないと「なるほど」とは思えません。
ただ自分についてのじっけんを重ね改善していくのがいいのです。
心のことはそれこそいらぬお世話です。
その様子を見て何か起きるかもしれないし、起きるのなら自分の考えで得たものでないとその人の人生に役立つ応用はできないと思いました。
私は自分が何事にも勇気をもって立ち向かい満足して生きられる方法を探し始めました。
これが一番の近道だと確信を持って。

さて、前振りが長くなっちゃったわね。
そんな経緯で自分の体調不良や心の不調が私の人生にうれしくない影響が出始めているのに気がつくことになりました。
私の中でこの身体の不調と向き合う必要性が明確になりました。
目的をもてば行動は速くなります。
弱っていることを認識して、行動を起こせるだけの元気を湧かせるために弱っていてもやりたいことから始めることにしました。

無理をしない、心に正直になろう。
強く強く決心しました。じっけんです。
辛かった仕事を整理して、えいやぁっと。
他に辛くない方法はありませんでした。
まず、インドネシアバリ島へ向かいました。
都会でしかできないと信じていた仕事は、被曝問題のために無理なスケジュールであちこち飛び回っている間にどこでもできることになっていました。仕事ごと3週間、一ヶ月となんども行きました。

とにかく身体がしんどいのでバリ島では低価格で受けられるマッサージを数日おきに受けているうちに気がついたのは、マッサージの効果の大事なところは「ていねいに扱ってもらっている満足」でした。
マッサージを受けながら、無自覚であったけれど、どんなに自分が一人孤独でつらく寂しかったのか浮き上がってきて愕然としました。
心と体はつながっているのかな?かすかに頭をかすめました。
バリ島での体調は日本にいるほどつらくはありません。
けれども体の調子は思うように改善しませんでした。

バリ島で若干の元気をもらって帰ってきて、ここでその元気で自分のじっけんとかいぜんに挑むつもりでした。
が、関わっていたプロジェクトが想像以上に心身トライアスロンで、一週間無心で動きました。
楽しみにしていたことは何もできず、弱っていたわたしの心は途中から心が悲鳴を上げ始めて、終わってから二週間も数時間しか起き上がれないようになってしまいました。
体と心がズタズタになったのがわかりました。
心はひどく傷つきました。
いよいよ、いよいよ大問題です。
何を見ても聞いても心も踊りません。
すべてが「やっかいなこと」に思えます。
身体は心と密接です。
生きていれば様々なことが起きます。
誰でも、かなりの衝撃を受けてそれをなんとか納めて日々を乗り越えていく。
心が体を動かし生きる満足を得る。
やはり心と体はセットでないとどちらかを放ったままでは満足した生き方などできないのではないか。

わたしはいつも「わたし」を酷使しすぎていて「わたし」が肩を震わせて泣いているのがはっきり見えた気がしました。
「わたし」を守るのはわたしなのに。
いままで考えて見つけ出したものがことごとく成されていないのでした。
これではずっと不調なまま死んでしまう、そう思いました。
もちろん、できていることも多くなってきています。
でも、新たに気がつくことが多すぎて宿題は増え続けるばかりです。

なんてこったい!

と、いうのが9月でした。

2015-09-21 11.19.08

コメント (2)

  1. K.Teramoto より:

    MISATOさん
    友達が沢山居ると思えるのに、怖ろしいほどに孤独を感じます。
    本当の親友って、憲法九条や戦争に対する考え方、さらに核エネルギー、テロに対する考え方が違っても、親友は親友です。
    只、本当の親友って一人居るか居ないですから、主義主張はそれとして、親友は大事にしないと、心が壊れてしまいますね。
    あかいつぶつぶのMISATOさんは、ゆっくり笑っていないと、子供たちは安心出来ません。政府の誰が何と言ったかなんて、瑣末な事ですよ。

    • yugi misato より:

      孤独って楽しいのよ。
      悩むって愉快なのよ。
      ほんとうは。

      親友なんて区別が必要でしょうか。
      主義主張が違うことは困った問題でしょうか。
      誰かが自分の思い通りでなくてはならないのでしょうか。
      思い通りかどうか、分かる術があるのでしょうか。
      わたしの人生と子どもたちはどんな関係があるのでしょうか。
      瑣末なこととは誰が何のために決めるのでしょうか。
      そんなことを考える旅でした。
      おそらく、どんなでもいいのです。
      納得と満足は自分にしかわからないということを確かめて「わたし」がどうどうと感じるのです。

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