何かが変わるときは必ず常識が打ち破られている。
中野にいます。
中庭は紅葉。
昨日は、参院選の話と、ステキで現実的な風力発電のアイデアを聞いて、議員会館というところへ行ってきました。
しずかな永田町は銀杏の絨毯だった。
おまわりさんはニコニコしててお坊さんに見えた。
議員会館は箱のなかに議員さんが詰め合わされていて、こんなにお近くにいるのだからいっぱい話し合ってくれたらいいのにと妄想。議員会館サロンとかあってご意見交換所とかあればいいのに。あるのかなぁ。
国民主権の民主主義というのは、誰が党首でも誰かが強制的に困難を背負ってしまわないように考えられ、その仕組みを育てていくものなのに、日本中が「選挙に勝たないと何もできない」という呪いにかかっているような気がした。勝つために行う策が目的が叶う条件を減らしてしまう。明日死なないために、いましあわせに暮らすために、通らなきゃならない道をなんでこんなに限定されるのだろう。いつも「そんなに簡単じゃない」と、さも、無知なように言われるけど「難しいんじゃなくてややこしいだけなんじゃないかね。」と思う。
いつも行く二本松のお寺には、ぶっきらぼうで柄のよろしくない住職がおられるが、一緒に囲む食卓には親鸞上人やら御釈迦様やらが一緒に座る。(会話のなかに住んでいる)住職の行動はシンプルでガシガシと助けていく。作戦とか、しきたりとか、選別もなく。
きっとどの世界にもいろいろな事情があるけれど、何かが変わるときは必ず常識が打ち破られている。
わたしは自分を濯いでいくのが一番いいのかもと考えていて、無くならないで重ねていけて必ず変化をもたらす確実なことの一つでやりがいのあることと思ってるのだわね。でも、そんな事を言うと「よくわかってないな」と。よくわかっていんだろうけど、よくわかることがわたしも自分の専門分野でできているかといえば、果たしてどうかと思うし、学校で教えても生徒から学ぶし、思いがけない新しい手法は経験のある賢人だけの特許じゃないもん。「何かが変わるときは必ず常識が打ち破られている。」この歴史的事実に期待を寄せるのは自然だと思うじゃが。わたしの「いちいちさん」は、たびたび賢い人に諭されるがとても不思議な事でござる。そんなわたしの頭の中の端切れも、誰かの考えと合わさって何かいいことが起きるかもしれないので「いちいちさん」は話します。
※経産省前のテントで行われている「反原発美術館」に参加していて12日にライブペインティングをしました。
写真は早川由美子さんが撮ってくれました。http://www.petiteadventurefilms.com/