放射線からはじまり、いま考え至ってるところ
フェイスブックノートからの写し。
もう、わからないけど闇雲にやるシーズンは終わってて、自分の考えをクリアにしたいと思っています。
わたしはこういうやり方が性に合うので、自分の性に合う方法があるならそれから離れないほうがいい。
もう、わからないけど闇雲にやるシーズンは終わってて、自分の考えをクリアにしたいと思っています。
わたしはこういうやり方が性に合うので、自分の性に合う方法があるならそれから離れないほうがいい。
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放射線からはじまり、いま考え至ってるところ
「誰かが自分と違うことをすると、違ってる自分を責められているような気がする。」というのは、ほんとはおかしいでしょ。
「だから、違うことやらないで黙っててほしい」って、もっとわけわからないでしょ。
なんで、「黙ってて」「やらないで」ってなっちゃうのかしらね。
何を信じるかによって行動は違うのだから、「お好きにどうぞ」やんね。違ってていいでしょ。
だから、国や東電がしなきゃならんのは「気兼ねなく選択のできる社会をつくる」ことでしょ。
大間違いは、「間違えてる奴がいるから混乱してる」と思い込んでる間違いだわよ。これは誰もが。
そんなことより、今とこれからのためにすることがあるやんね。
被害者がこれ以上身を削るようなことを見過ごしてはあんまりでしょ。
被害者がどこに暮らしていても何を選択しても「好んで要求しないかぎり」被害を受け続けることがないように加害者が考え行うという当たり前を復活させんと未来もたまらんでしょ。
加害者が心を入れ替えるまで被害者だけが我慢して苦労を背負うことを傍観しないでいい方法を、一部の大きな犠牲でなくみんなの楽ちんな協力にして、被害者が気兼ねなく苦労なく利用できるよう考えなきゃならんでしょ。
子どもの現場では特に注意がいる。
大人がやらかしたことで起きる被害からは、自動的に守られる仕組みをつくらなきゃいけない。子どもの現場では子どもの利益以外を求めてはいけない。 加害者の代わりにそれを行うのだから、保護者にだけに苦労を背負わせちゃならない。 細やかな気遣いをする子どもが安心して生活を送れるためにも。
公共の教育と福祉は、個人では避けられないマイナスをカバーするために安心や安全の貯金をしていくためにあると思うよ。もともとはとても愛しい理念のあったものだと私は思う。 私は自分ためにもしつこくいちいち考えて行うことをあきらめない。
この国は前例が大好きだから、いま見逃してることを前例にして重ねさせちゃならないんだと思う。私が生きた50年の間でもどんどん常識は変わっていくから、いまもこれからもチャンスはたくさんある。何が起きてものびのびと生きる方へ進化しないと、と思う。
2016年1月17日 柚木ミサトの考え至ったところはこんなふう