歓喜はどこにでも

ひとに喜ばれるのが好きで、誰かが心を痛めているのがどうしようもないほど嫌で、こうと思ったらかなり頑固に貫く気質だと自分で思う。「ひとに喜ばれるのが好きで、誰かが心を痛めているのがどうしようもないほど嫌」というのは、別に特別ではなくたぶん誰もが持つ当たり前の感覚なのだと思う。それをどう扱うかが違うだけで。私の優先順位は他の人と違うし、通常犠牲にしないことも通常が違うので批判を受け取ることもあった。子どもの頃から自分の通常が人とズレていると気が付いていた私は、他を細かに観察してトラブルを避けご期待に添えるよう振る舞うことにした。効果は抜群でその方法でやり過ごしてきたのだった。

自分一人でそう思ってやっている分には問題はないのだけど、歳を重ねて大人にもなって結婚したり子どもを持ったり仕事でチームを組んだり、他人に影響するようになると一人であった頃と違ってうまくいかなくなってくる。頑固だったし働き者でもあったし、さして欲もなかったので、わしわし働いて2010年ごろまでは頑張ったのだけど、50歳を目の前にしてついに力尽きた。私が他人を観察して心を汲んだりすることは、複雑な人間関係を補足するほど十分な能力が無かったし、もともとズレているので手一杯になると気が回らず機能しなくなる。観察してご希望にそえることを習慣としていた私には、身近な批判や誤解に耐えられ無かった。

私には理不尽に思えることが当時たくさん起きたけれど、それが私の願いを叶える唯一の方法だったと今は思う。外に出せないささくれで車のハンドルを握りながら思わず叫ぶほどだった。もう限界、もう無理、すべてから解放されたかった。私は自分に受け止められない理不尽を理由にしてやっと全部手放した。母の介護という私が避けられない理由も用意されておった。ギブアップするのに完璧な状況設定だったと思う。

降参して出来なかったことを認めて一回崩さないと取り返しがつかなかったと思う。
今思えば大変な無計画だったし、器に合わない無理もしてたんだけど、自分の信念であったし状況と自分の能力の割にはよく張り切ったのだと思う。満足だと思う。けど、もう辛いのはイヤだ。人を犠牲にしないには自分が犠牲になることを選ばない強さが要る。

満足だと思えるのは今の私があるからで、今まで無かった考える時間を持つことができて疑問に思うことを調べたり実験したりする機会も持てるようになってる。2011年3月、東日本大震災。これまでの出来事でへとへとに弱っていたので身体と頭と心が何故どこらあたりで限界を迎えるのかを考えながら取り組むことになった。介護が必要な母の存在も「究極」を考えることに力になっていった。生まれてから2010年までの人生をこの5年でおさらいして弱点を見つけ出すことになっている。過去は永遠にその意味を確定しない。過去は今によって塗り替えられるんだと思う。

相変わらず頑固なので、自分で経験して考えたどり着いたことからしか身につかない。今たくさんの実験を行い発見をしている最中。取り組んでいることが何であれ歓喜で動きたいと思う。辛いのも悲しいのも怒っちゃうのもよれよれになるのも。

過去も今も未来も、今つくれる。

2016-06-09 16.12.43

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