想像する景色は同じだろうか

【想像する景色は同じだろうか】
わたしは放射線や原発の危険を知らせたい人たちにも、移住を勧める人たちにも、移住した人たちにも、移住を求める人たちにも、原発をなくしたい人たちにも、福島県内の放射線から身体を守る取り組みにも、薄くも濃くも汚染された土地で一生懸命住む人たちにも、除染する人たちにも、事故のあった原発で働く人にも、深くも浅くも直接関わっています。
自分の理念や立場によって得られる情報は偏ってきます。わたしも同じです。
そして、放射性物質がどんなものか、どういう動きをするのかどこまで知っているか、どんな考えを信じているかによってもそこにいる人への想像がまた変わってきます。
もしか、それぞれの人がどんな人がどういう考えでこの日本に分布しているかの図を書いたら、それぞれ全然違うと思います。
 
ほんとうに想像が違うのです。現実も違うのです。ゆっくり話す機会があれば、互いに心が痛むような誤解は解けるのだけどなかなかそうはいきません。その誤解を解いて「ああよかったね!みんななかよし!」になる必要があるかといえばソコじゃないような気がします。
その人にとってのいい方法は、家族のこと、背負っているもの、今まで生きてきた歴史、お金のこと、心を開いてもらえて膝つきあわせて聞かないとわかりません。自分が相手に何ができるか、それをどれほど続けられるのか、今この時に何を見出したらいいのか、たくさんのことを考えます。何も望まれず聞くだけでいい場合もあります。
 
最近、少し余裕ができたというか、整理がついたというか、書いてみようと思い立ちました。続けてだらだら書きます。
 
わたしが見てきた景色には、それこそ知った人の数だけ、全部違う状況と考えと悩みや痛みや喜びや楽しみもありました。どこにもいろんな人がいると思うんだわ。
で、たいがいは「ああ!そうだったのか」自分の浅はかさを反省する。「あの人には言えなかったけど」と話される心は切なかったり嬉しかったり。同時にわたしには言えなかったけどと、他に打ち明けられる心もあるんだろうなと思います。
汚染地に住む人が自分の想像するような人ばかりではありませぬ。被曝の心配をする人が住んでいる人に不理解な人ばかりではありませぬ。
 
想像を超えております。実際に出かけてもそこにある全ては把握できません。愛しい想像力と応援と協力を目指し、人の能力の違いと限界に寛容でありたいと祈り(もはや自分に祈りたい)知りきれない人それぞれを思いながら出来ることやりたいことは「被曝を減らす」こと。わたしが直接会ってきた人たち誰一人として「ぜひ被曝したい」という願いを持った人はいなかったでね。
 
そして、自分で作っていたハードルを飛び越えることがどんなに楽しく新しい発見があるかはオススメしないでやってみようと、今さらテントはったり旅をしたり歯に衣着せずあわあわしたりしております。たくさん考えていっぱい悩んで思い切って挑戦して、自分をおいしく熟成させるのは、じっさい楽しくて夢中です。
 
で、やっていることはわたくしの勝手なお願い。
ようするに、宇宙には「知りきれない法則」がある。
ので、気に入らないなら真に受けない選択をしてOK!
じゃが、知りきれないから失礼があったら我慢しないで。
まあ、間違いも失敗も愛嬌のうち。
しからば、間違い探しより宝探し。
んで、賛同なんかなくても人生は上等。あったら嬉しいけど。
 
どなたさまも、らぶゆ〜らぶみ〜。9chan

なんか、またわたし風味でようわからん文になった。
でも、これ以上説明すると違うことになっちゃう。
超能力で解読を。

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