うっかりして発見

選挙でざわざわ。
暮らしよい社会にと。

今朝NHKの連ドラで戦争が始まり自由や日々の生活も奪われ、人々が状況に翻弄されていく様子が描かれていた。声をあげて笑うこともささやかの日々の楽しみも禁止されて。
なんて時代だったんだろう。そう思って自分の人生も振り返った。

私が長男を産んだ24年前は子どもを持って生きるのはちっとも楽じゃなかった。仕事で子どもの病気や行事が理由になることなどなかったし、デスクや手帳に子どもの写真があるだけでヒソヒソいわれたものだ。
仕事をしていても子育ては女の仕事で、給仕も女の仕事。男の子に連れられてくるガールフレンドたちも侍の脇差みたいに主人の横にちょこんと座ってた。
日本男子はジーンズを履いてロックを聴いていたって、まだ袴とちょんまげなのだと心の底で思ってた。
悪意なく、子どもがいることで友人から分別されたりもした。

うっかりしていたけど、女が一人の人間として楽に生きられるようになったことはまだ一度もないんじゃないかと思う。や、女ってことじゃなく、人が一般的な人生を歩まなかった時の風当たりは未だ根拠なく強い。私がしんどかったのは、女だったからでもなく、たくさん働くことでもなく、子どもの世話で眠れないことでもなく、お金がないことでもなく、世の常識に傷ついたことだ。傷つかなくてよかったのに、傷つくことしか選べないという常識を私が持っていたことだ。


一般的な道から外れると途端に外がうるさくくなる。日々その騒音と戦っていかねばならない。人はどんな風でもいいんだ、自由だって思うんだろうけど、ちっともそう思えていない。本当の自由は自分の想像する自由に人が当てはまらないことを認めることなのではないかと思う。だれもがもれなく自分の常識は特殊だと自覚することだと思う。そうであれば「私たちもあなたの道に賛同しますよ」なんて承認は必要ないことがわかる。そうなるにはまだ遠い気がするけど、心一つのことなのできっともうすぐ広がると思う。


「顔さえ見れりゃうれしくて、お腹が満たされてるかだけをただひたすら心配するおばあちゃん」は昔からできてたのかもしれない。赤ちゃんはただ在るだけで勝手に周りが癒される。扱いに慣れてないと効果は少ないけど。赤ちゃんのもつ天然のパワーは無敵ですらある。おばあちゃんと赤ちゃんは昔からできてたんだと思う。人と人との理想的な関わりが。こおばあちゃんと赤ちゃんのあり方を進化させてやってみると理想的かもしれない。
今は設定が変わってしまって、おばあちゃんも赤ちゃんもそんなに無敵じゃないけれど。

叱ったり、こうあるべきだと心配したりは思うほど必要がないのだと思う。私がこれまでも、危機感ではなく喜びが私の原動力で、傷つく必要がないことを強調したいのはココの所なんだと思う。いろんな発見が自分の中にあるので自分を発掘している。きっと誰にもあるんだけどお宝に思えないと発掘されるのはお宝じゃないさね。


そして、屋外アトリエなのでまあまあカエルがうるさい。

2016-06-30 20.22.12

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