鍵は、しあわせの探求に

イヤなことをしないで、気持ち良く暮らせること。
自分が納得のいく選択ができて満足に暮らせること。

だいじなのはソコなので、決定が強制や義務であっては、ちいと違う気がします。
圧力を感じたり、不自由を感じるのは、何か変な気がします。

放射線をどれだけ浴びるのか自分で選べないことと、
母子手帳がピンクのハートがいっぱいついたものしか選べないこととは、
同じ暴力性を感じるのです。日常の中に、暴力はあちこちに。

自分の思うよりいいものが他者にも疑うことなくよりいいものと思い込み強制する感じが、世の中の問題に気がつけば気がつくほででてくるわけで、
よくよく考え直さないと、似た者でないと生き残れなくなってしまう。
少なくとも私は、誰に似ていなくても困らないで暮らしたい。

賛成じゃない時の関わり方が、下手な気がしています。
解決を望まない批判があることにも戸惑います。

だいじなのは、
何が好きか何をしたいかしっかり選べる自分であること。
そこには、賛成されなくても仲間がいなくても大丈夫だよってわかってる心が要る。
その決定を、支えてくれる見守ってくれる周りがあること。
時には、自分の決定に周りが追いついていなくて一人で向かわなくっちゃならない時もできる方法を見つけられる知恵を持ってること。

だから、
これらが閉じちゃうようだとうぐぐぐぅって「なんかちがうんじゃね?」とイソイソした気持ちがしおれちゃうんだな。
良かろうと悪かろうと、いちいち他者の影響を受けすぎちゃう今の設定は自分を生きるにはいいシステムじゃない。

都合の悪いところだけ問題で、都合のいいところは今の状態に疑問も持たない。
そんな風じゃ、自由にならないんじゃないんじゃないかね。
この世の出来事に、誰かにとって問題であれば問題マークをつけるとしたら、この世の全部が問題になるだろう。

私たちはきっと、誰かの問題の中に生きてて誰かの喜びの中に生きてて、ただどんどんわしわしと、「イヤなことをしないで、気持ち良く暮らせること。自分が納得のいく選択ができて満足に暮らせること。」を探求していくのかもしれない。探求が進めば進むほど、悲しんだり苦しんだりする人が自然に減ると思うのだよ。

鍵は、しあわせの探求にあって問題の撲滅じゃないって気が今すごくしてる。

2016-07-23 16.00.12

あ、きのう描いた絵を貼りつけとこう。
ただ描きたくて描いてるシリーズ。
描いてる時に考えているのは、
「みどり、みどり、もじゃもじゃわさわさ、みどりみどり、えだにょきぃ〜えだにょきぃ〜しょぱっしゅぱっ、まつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりまつぼっくりくろくろぉ〜」
すごくたのしいです。

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