「いいおてんきですね」

施設で19人の人が殺された事件。あれから見えない犯人が街角に潜んでいるような気がして、出かけるのが怖くなった友だちがいる。どうしたらいいのか、話していて思いついた。
「私はあなたを攻撃しない。困っているなら手伝う心算もある」というサインになるようなマークを身につけたらどうか。
外出するたびに、何人か微笑み合えるような接触があればどんなに心強いだろうか。
で、あれこれ準備を始めました。まず、マークのデザインとその意味を考えていく。

ちょっとまてよ
これって、誰もがおなじじゃないのかしらね。1日出かけて、誰とも言葉も交わさず目も合わせないで帰ってこられるのって、不自然なのでは?と思いました。

旅に出るといろんな嬉しいことがあります。わたしは旅先での出会いや会話を思い出す。「どこからきたの?」「どこへいくの?」から始まって、なぜだか見知らぬ人の趣味や体調、娘の子どもの数まで知ることになります。蓄積されるのは、この村の人への愛だったり旅人への理解だったりして社会の雰囲気を作るのに影響します。

互いに理解を深める運動も必要だと思うけれど「いいおてんきですね」とかいって、声をかけられるのが自然な暮らしがあらゆる不安や悲しみを無くしちゃうのではないのだろうか。なぜ声をかけられるとわずらわしいのだろう、なぜ声をかけることをためらうのだろう。旅先では歓迎されることなのに、その線引きはなぜされるようになったのだろうか。

わたしは年のうち1、2ヶ月バリ島の田舎町で過ごすんだけど、そこの村の人は目があうとサインを送ってくる。目を少し大きく見開いて片眉を上げる。言葉にすると「やぁ」「あら」「おっ」って感じ。わたしがここに居るのを歓迎とまでは言わないけど、認めてくれてる感じがして嬉しい。
存在を認識してくれるのがそこでの生活を明るくしてくれる。

常々、人が接触するのに意味を考えていたのだけど、ああ、そういうことかって思った。(←もうね、こういう風なのよねわたし。呆れるけど)

とてもステキなことだと思う。耳や目、声や手コミュニケーションを封じるには不自然なほど私たちに備わっているのに、使える人が使わないのはおかしなことじゃないのかしらと思っているとこ。

見ず知らずの人と交わすコミュニケーションを煩わしいと思うほど、余裕がない自分が居るならコミュニケーションを楽しめる方向で自分の人生を調整したいと思っている。

「いいおてんきね」で人は死なないですむかもしれない。

tsuri
「つれますか?」から始まって、おばちゃんの半生を聞くことになったのあわじしま。うれしいひととき。

コメント (2)

  1. 寺本 靖 より:

    ミサトさん
    横浜の大口病院にも、同じ様な考えを持つ人が居たみたいですね。
    後期高齢の私が、チャンディダサで沈没したいと思いましたが、娘は施設で仕事を続けたいと、意思は固いです。宝の娘が一番です。

    • yugi misato より:

      靖さん
      大口病院も、
      まず、
      「勝手に決めるな」と思いますね。

      「他人の事を勝手に決めるな」に、尽きると思います。
      病気だろうが、障害だろうが、加齢だろうが、
      他者が勝手に決められる事なんて一個も無いです。

      チャンディダサに時々行くのもいいですよ。
      住まいはいくつもあっていいと思ってるんです。
      お嬢さんの行く道に変化が必要なように、お父様の行く道にも変化が要る気がします。
      わたしの道も、お二人の道と影響します。
      有るとは思わない枷を探し出して外していく事で近道を探しています。

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