じょうとうのシガーで。
わたしはタバコを吸う。
「タバコが理不尽に敵視されることに従いたくなくて、ぜったい止めるもんか」とさえ思っていた。
おのれの健康なんかちっとも理由にならないのである。
健康をいうなら都合のいいことだけ厳しくならないで、他もしっかりと見て社会を整えて行けよと思う。
しかし「私は吸いたくないの」「臭くて嫌いなの」「匂いがつくなんて耐えられないの」というのは、とてもよくわかる理由。
これには、私が吸わないで居たい。
尊重されなくてはならないと考えるので尊重する。
「あなたのことを思って」「吸わないのが常識」「喫煙なんて愚か」という考えに猛烈に反発する。
それに従いたくなくて、喫煙者の狼煙を上げ続けようと思ってたのです。
いま、タバコを吸わないで5日になろうとしている。
時代も変わり女子がタバコを吸うのも粋でもなんでもなくなりパッケージに怖い警告が刷り込まれ、
「ニコチン倶楽部」がカッコ悪くなっちゃったから。
脱会の手続きがクソめんどくさいのがダサすぎる「ニコチン倶楽部」にも入りたくないのだが、
嫌煙クラブはもっとダサいし、どうしようかと思うている。
タバコについては「ついで」に「まぎらわせる」のがダサいのである。しかも「他人を不愉快」を放っておいて。
私がタバコを吸うか吸わないか選択する理由で、前のめりに嫌煙する人にも私が感じる事があるイヤ感。
なので、
上等のシガーを、心置きなく、うまい酒といっしょに、「そのために」時間をたっぷり用意して
たのしむのがいいんじゃないかと思っている。
タバコを楽しむ時間に「ついでに」何かを入れないで。
今度バリ島へ行ったら、キャンドルの灯りで、ラム酒とたっぷり時間を用意して吸うてやろう。
なんだったら、楽団をチャーターしてもええぞ。
まぜこぜでなんとなくおさまるのはとてもイヤなの。
このなんとなく収まっちゃう感じが問題の根源だと思うほど。
「その根拠はほんものかい?」と自分には自分の責任で問い続けたいのだよ。
何にもコントロールされたくないのさ。
誰にも山道も求めないしお勧めはしないけど、わたしは整理していく。
わしゃ、名古屋に長く住んだのでゴミで学習したので、分別は細かくできる。(かんけいあるのか)