Nyepiの夜に
Selamat Hari Raya Nyepi
わからない人には「きょとん」とする話を。
(わかるのがいいとかじゃなくて)
生きるための万能スイッチのつづきになるのかもしれない
http://www.mikanblog.com/?p=6533
嫌いでもね、いじめないのよ。
苦手な人はいるけれど、その人が居なくなればいいとは思わない。
それよりも、好まない出来事に影響されない逞しい自分がほしい。
嫌いだけど同じ空気吸いたくない、ってのはない。好きと嫌い自体はそんなに優劣ないと思っている。好み。嫌いと憎むのは違うので。んで、憎むのも愛するのも同じカロリー消費。憎しみとか愛とか。感情というのは成分表示できないほどたくさん入ってる。まあまあ相手は関係なかったりする。
自分が持ってる物語に影響され感情が湧き受け取る。
余裕のあるときはなかなかたくましい考え方ができるが、心は安定しないのが人の特徴で、虫の居所によっては「キーキー」したり「ぷんぷん」したり電流が流れたりするのだ。安定が前提で居ると安定した対応以外は異常自体に感じる。安定のほうが特別な状態だと思っとけばラッキーとハッピーが増える。
じぶんの「つもり」を見直してみる。
思い込みや癖を解除していく。
そして、面白がる。ここらへんに私の探していた魔法みたいな方法ってのがあった。
指を鳴らしたら世界が変わるようなこと(鳴らせんけどが)って、あるのだと思う。
もちろん、万人に似合う方法でない。そういうのが好きで面白いと思う人に似合う。「あんなもんはダメだ」ってのは、単に好みや適応能力(優劣ではなく)の問題だったりする。
どこかに書いてあったからといって自分に似合うとは限らんじゃろ。自分にできないからとて、誰にもできないわけじゃなかろう。10の方法とか流行るのはいいけど自分の素地に似合うかどうか、だと思う。同じ方法で統一しようというのがいかに不自然かというのに納得がいくことばかり。
自分が応用できる余白があること、他を否定することにたいしたエネルギーをかけなくていいもの。自分のことをよく観察すること。面白いなと思えること。(自分に似合うものは苦痛を伴わないから)こういうのがいいなと私は思う。気に入ったものを見つけたら試してみる。さらに考えてみる。
どうせなら考える間も面白くないと、考えることでヘトヘトになる。考える人は考えるのが苦しくてもやめられないほど好きなのだから、面白く考えれる方法を研究するといいのだと思う。
実際に何人かと話してみたら、頭を抱えていたことが数分後には、なんなら早く出会いたい出来事になって「ほんどだねぇ!びっくりだわっ!」って言うておられた。
いつもと、何も、変わっていないのに、だ。
全てに、「やりようがある」し、そのアイデアは無限にある。見つけていないだけで。
たくましさを身につけている。(絶賛成長中)
いま、ここらへん。
。。。。。。。。
わたしはなぜ愛するのか。妄想が消えつつあるからごちゃごちゃ考えなくてよくなってきている。今まで証拠として考えてきたことはあまり関係ないかもしれない。
きょうはニュピなので、ちょっと考えてみた。
まだ生きている人は、死なないでほしいなぁと思う。
先に行ってしまった人は、また会うときをたのしみに。