そりゃちがうわね。

いろんなところで、いろんなチームとお仕事をする。
どこにもそこの世界の法則があって、ずっとそこに居ると自分たち独自の法則だと気にしなくなる。
 
当たり前になったことはお知らせされない。
いちいち確認すると「そんなこと知ってる」と言われることもあるし、違うという前提がないので、当たり前を確認する意味がわからなかったりする。
 
疑問の追及や、違う意見を言われることに慣れていないので、何か否定的なことが起きたような反応があったりする。不機嫌にさせてしまうこともあるね。
 
もともと全部が全部、それぞれが違っているのだとわたしは思う。そもそもの認識が現実と違うんじゃないかと思う。まあまあ同じだと思っているほうがおかしいと思う。(きっと個性の違いくらい分かってると多くの人は言うだろうが、そんな規模じゃないのである。)
わたしは、じっくり観察してなんども実験を繰り返した。
同じである、まあまあ同じである、
という設定はとても不自然で不可能さ加減は想定外の大きさだった。
 
そうだとしたら、お仕事だけでなく、これまで生きてきて、わたしが悩んだことも、とてもすっきりと説明がつく。
そうだとしたら、いろんなことの受け止め方が変わる。
 
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追記しよう
 
 だから、人と違うということはすべて「自分とは関係ない誰かの特別なこと」ではない。この絵に描いたような「誰にも必ずある、一人一人の違いというグループ」だと思う。
 ようするに、障害者とか性が普通とされるカテゴリーに入らないとか、民族だとか国籍だとか「自分には当てはまらない特別な人のことだと思っていたなんて、なにいっちゃってんのよ」なんだと思う。
「言わないとわからない」なんて当然だし、常識なんて成立しないし、誰にも同じものを押し付けていいわけない。
カバには水辺が要るし、キリンは木に登れないし、乗鞍スカイラインとかドライブしたら恋人の魚は死ぬ。
伝えてわかれば上等である。伝えてわからないのは、双方そもそも違うを認識していないからだと、わたしは思う。
みるみる、過去のくもりが晴れていくようだ。
どんどん、今が軽やかになる。
ね。

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