バリ島でのくらし

もう20年くらい前になるかな

二ヶ月間インドネシアのバリ島に滞在したことがある。

ウブドという村で音楽(バリガムラン)とバリ舞踊、絵画の三点セットが盛んな

バリ島の中でも有名な芸術の村。

いつも朝早くから子供たちがガムランの音に合わせダンスの稽古に励み

一日中どこかでガムランの音が聞こえて

テラスではのんびりと、たくさんの画家が絵を描いてた。

道は舗装もされてなくて砂埃が立ってて、その道沿いにぎっちり並んだお店も商品もじゃりじゃりとホコリっぽい。

でも少し脇道に入ると、素晴らしい田んぼとヤシの木が茂る森が見えて、

空が高く大きく青かった。

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現地での足はスーパーカブ。

しってるとおもうけど、郵便局の配達員さんが乗ってるヤツと同じタイプ。

日本のよりちょっとエンジンが大きくてパワフル。

三人乗りは当たり前。子供も合わせれば四人五人とお団子になって乗ってる。

しかもたっぷり荷物も抱えて、運転するお父さんが握るハンドルには

ヤシの葉で編んだハンドバッグのようなカゴに鶏が入ってぶら下がってたりする。

民族衣装の巻きスカートを膝まではだけて、こめかみにお米をくっつけたお母さんも

頭に金だらいをのせ、その中に果物や野菜を入れてさっそうとスーパーカブで走り抜けてく。

曲乗りやんか。

もう、村中が木の下サーカス状態。

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【シンプルな宿】

私は車の通る道からちょっと入った田んぼの真ん中にぽつんと立ってる小さな小屋のような部屋を借りてた。

八畳くらいで二畳くらいのタイルばりのテラスがついてた。

部屋の奥にはトイレと水をためる水槽がついてて、手桶が浮かんでた。それがシャワーだった。

外には人が一人入れるぐらいの小屋があってコンロとヤカン。これがキッチン。

キッチンには水道が無い。(まじかて)

もちろん冷蔵庫なんてあるわけない。

でも、夜は田んぼに住むたくさんの蛍と、満天の星空の境目が無いほどで

その宿をとても気に入ってた。

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【なんにもないぞ】

あんまりに部屋に何も無くて荷物も解けない。

そこで、ひもを買って来て天井に渡して布をかけてカーテンをつくって、

その奥をクローゼットにした。

照明は10ワットくらいの明るさ。

夜絵を描こうと思っても暗すぎるから市場で電球を買って来て明るくしてみたけど

電圧は安定せず明るくなったり暗くなったり、落書き以上はとても描けなかった。

仕方ないから、夜はレストランで閉店まで粘って酒を飲んだり音楽を聴いたり、

毎日どこかでやってるバリ舞踊を見に出かけた。

朝起きたら手桶で水浴びして汗を流しさっぱりしてお通いの少年がつくる朝ご飯を頂き

明るいうちはのんびり絵を描いた。

気忙しい気持ちはそんなこともあって、のんびりにむりやり慣れていった。

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【停電】

停電は日常茶飯事。

知ってたから懐中電灯は持って行ったような気がする。

しかも「計画無し停電」突然消えていつまでかわからない。

だれも文句もいわずない。

いつ頃着くか聞くと「そのうちに」とにやっと笑うだけ。

まだ?ってきくと「まだ」

もうすぐって聞くと「もうすぐ」

ほんと?ってきくと「たぶん」

これが日常。

お店なんかだと停電が長引けば、すみやかに発泡スチロールにストックされてる

飲み物用に買ってあった氷が冷蔵庫に投入される。

井戸だから電気が来なきゃ水も出ない。従って汲み置きの水がある。

私も水は切らさないよう気をつけてお風呂の水を貯める。

トイレもこれで流すから無くなったら困っちゃうのよね。

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【お店】

日本では約束した日に商品が出来てるのが当たり前。

でもウブドは違った。

大きなキャンバスを注文して約束の日に軽トラックを借りて取りに行った。

店のおじちゃんが「まだ出来てないからちょっと待ってて」というので

ま、そんなものよねと店の中をフラフラ物色すること一時間。

「まだ?」「まだ」

それからまた一時間。

「まだ?」「まだ」

ちょっと、いつできるのよ。

ん〜〜〜と渋い顔。

こういうとき黙ってるとまた待たされる。

一旦帰って出直そうと思いぐっと目を剥いて力んでみた。

「あのさ〜!いいかげんにしてくんないと怒るわよ!一体いつくれば出来てるのよ!」

「ごめんね〜。明日来てくれる?」

…帰ったわさ。さっさと。

予定通り人は来ないし、当たり前に物は手に入らない。

ここでは日本の当たり前は通用しない。

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【ほかにも】

夕方のお風呂は水では寒いから井戸の水を給水塔のタンクまで上げておいてお日様で暖めたり、

他にも不便な当たり前は数えられないほどあった。

ちょっとした工夫で快適に暮らすよう考えた。

朝ご飯はボーイは寝坊したりして来たり来なかったり、

ま〜かん!と「ちゃんと明日は来ないと怒るよ!」って脅すと

「たぶん」と笑っていう。

イロイロ連れてってくれたり、インドネシア語も熱心に教えてくれたから、

馬鹿にしてる訳でなさそう、悪気も無いみたい。

これでモメズにみんなが生活していられるのはバリ島という所がそういうリズムだからだ。

四時から坊さんが来るからと呼ばれて友人の家に行って待つこと5時間。

坊さんが来たのは夜の九時だったけど、誰も怒らない。

坊さんが来なかっただけ。(しょうがないもなにもない)

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イタリアだってフランスだって日本みたいにパーフェクトじゃない。

野菜はいびつだったり、ガス屋は来なかったり、来ても直せなかったり

車なんかバンパーで押しちゃうし、電気代は間違って請求されるし。

それに比べたら日本の生活ってきっちりしすぎどころの騒ぎじゃないわよ。

へんな所が異常にきっちりしてるかも。

ジャパンクオリティーはワールドクオリティーじゃない。

アメリカ人の友人がどこだったか、外国での展示会で日本のプリンターを、

軽くて小さい、これは1分で15枚プリントできる、こちらは10枚などと紹介した時

「1分で五枚プリントできればいい。持ち運ぶわけでないから大きくても重くても関係ない、

それより砂埃に強いほうが大事」と言われたそうだ。

小さく早く、安く、軽く。

言われなくても察しがいいのが日本人のいい所だけれど、

そんなにきっちりきっちり、勤勉にやらなくてもいいんじゃないかな。

何か忘れてる気がする。

 

昼間は第一線でガンガン仕事して、ドンドン昇格、家へ帰れば飯!風呂!寝る!

いつものコースを歩けばご飯とビール、新聞とTV、風呂は丁度いい温度で洗濯機の上には着替え。

会社での地位も上りつめようとするその手前で、とうとうカミサン切れて熟年離婚。

今、日本って、そんなかんじ〜?。

誰のために働いたのか、カミサンと子供のためだったじゃんね。

愛する人のためだったはずじゃんね。

でもそれじゃ伝わらないじゃんね。

知らないうちに悲しませたね。

サボってるどころか、必死だったのに。

 

今から日本人が学ぶとしたら

寛容とか、のんびりとか、無心に当たり前に芸術とともに暮らすとか、

そういうことのほうがもっと日本を豊かにするんじゃないかな。

その昔は、季節と心を綴った恋文を送りあった国だよ。

私もちびっこいながら会社があって、仕事が好きで突っ走ってきた。

この非常時に精一杯学びたい。

思いっきり、自由に、勇気を持って生きていきたい。

明日から新年度になる。

あと一時間半でほんとうに生まれ変わるつもりで日記を書いた。

あ〜、一年に半分、住みたいな。バリ島に。

気忙しい時計を戻すために。

コメント (2)

  1. hirono より:

    通りすがりのものです。

    世の中が、もっとシンプルになると良いですね。
    貴方のイラストみたいに。

  2. 末松 正 より:

    独り言かな?興味深く、読ませていただきました。

    私は、日本で働き60歳で定年を迎え、懲りずに再就職をしました。1年に一回程度ですが、バリへ女房と遊びで行ってます。行くとホテル暮らしなので、停電の経験はありませんが、ほっとします。子供のころの日本みたいですね。老いも若きも分け隔てなく話ができるところがとても好きです。1-2カ月暮らしてみたい、勿論女房にはきっぱりと言われましたが、一人でどうぞと!

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