一番の間違いは自分の考えなのではないか

【わかっているのに、どうして未だに人が守られないか】

震災が起き、原発から大量な放射能が漏れまくっている事が、やっとこさ公になりました。

公になれば、子どもは守られると思っていましたが、

未だ、子どもたちは放射線を浴び続けています。(徐々に守られて来ていますがゆっくり過ぎます)

子どもは大人が守って育てるのが当然です。

これに反対する人はいないはずです。

なのに、何故守られないのか。

地震、津波の被害に合った人も、未だ過酷な生活中です。

うかうかしてたら放射能まで広がって来ます。

困った人がいたら助けるのは当然です。

これに反対する人はいないはずです。

なのに、何故守られないのか。

【今、日本は国民がバカだという前提で動いている】

規則とは、個人個人に判断力がなく、統率も取れず、

暴走する人が大勢いて社会を乱すから生まれたものだと思っています。

宗教も、国家という考えも、野蛮に暴走する人々を、平和と調和に導くために生まれた知恵だと思います。

自分で判断する知恵がないから日本人は手をこまねいて国の指示を待っているのでしょうか。

私は、違うと思います。

多くの外国人が、震災の時に略奪も暴動も起きなかった事に驚きの声を上げました。

それは日本人が穏やかな民族というだけでなく、

全ての良心と、知的な判断を信じていたからだと私は考えました。

国や助けの手を信じて、我慢強く待ったのはそれを信じていたからです。

奪い合いが起きないのは、誰かが得を独り占めをするとは考えなかったからです。

原発が爆発しても、今なお指示を待っているのは国はかしこく、

ちゃんと考えてくれるはずだと待っているからです。

けれども、国は国民の知性を信じていませんから、

バカに対するマニュアルで対応している事から混乱が起きています。

国は、国民に正直な話をしたらコントロールできないほど乱れてしまうと思っていないでしょうか?

果たして、私たちはそんなにバカでしょうか?

【自分の能力を低く見ている日本人】

日本人はいつからそんなバカ扱いされるようになったのでしょうか。

どうして、自分たちの持っている良心や誇り、

知性を無いものとした規則が出来上がっていったのでしょうか。

戦争が終わって、日本は何もかも失いました。

そこで、日本人は競って外国の考えを真似て新しく日本を作り直しはじめました。

そして驚きの発展をしました。

けれどそれは、外国の考えが優れていたからだとは私は思いません。

日本人がすでに持っていた勤勉さ、謙虚さが合わさってすばらしい技術発展をしたのだと思います。

もともと自分の持ち場をわきまえることで調和した生活をおくって来た日本人です。

桶は桶屋が作り、大工が家を直し、魚屋が魚を売る。

自分がやったほうが確かだ、などということはなく専門職の技術と良心を信じて買い物をして、

商う人は、その心にこたえる事を誇りにしていたからマニュアルなどなくてもちゃんと調和した、

イソイソとお金が回っていく暮らしだったのじゃないかと思います。

その心がこんなにも発展した日本を作った大きな力であったんじゃないかな。

同時に、「自分の持ち場をわきまえる」素直な日本人に「バカが多数いる前提のマニュアル」が

疑いもなく間違いがないと浸透して行ったのだと思います。

そして、気がついたら「バカでもないのに発言威力のない日本」になってしまったんじゃないでしょうか。

日本人は謙虚です、他の能力を疑わず、

「あなたのほうが、さぞいいアイデアをお持ちでしょう」と任せきってしまったのではないかしら?

本当は、自分で考え、行動できるし、それでも調和してくらせる知性があるのに。

【じゃあ、全てがまもられるためにいったいどうしたらいいのか】

原因を考えないと対処は出来ない。

いつのまに、ふたを開けたらどえらいことになっていた!というような

「今の事態」を日本が引き起こしたのか勝手に考えてみました。

戦後の危機を乗り越えるのには必要だった事もとっくに役目を終え、

次の段階に来ているのに、必要のない間違った進み方をしていて、すでに全てが破綻していたのでは?

私は一つ一つに「全てが間違っていたかもしれない」という仮説を立てて考えてみました。

今の事態から全てを守るには、

地球が平らだと思っていたのが、実は丸かった!と同じくらい

みんなが思い込んでいる考えをひっくり返していいんじゃないかと思ったのです。

そう考ええると全てにつじつまがあって、

今ある全ての問題を解決する策が見えるんじゃないかと思うようになりました。

そんな事を考えていたら、先日、NHKで興味深い特集を見ました。

[暗黒のかなたの光明 ~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~]

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605.html

梅棹忠夫は何十年も前から今のままでは日本は破綻すると訴えて来ました。

彼が見いだした光明は「私たち」だと思います。

発言係の専門家に任せず、国民は考えを持ち大いに発言するべきだと言っています。

その知恵を私たちはすでに持っています。

バカマニュアルを尊重して、

私たちの知恵は引き出しの奥に「要る時まで仕舞ってあるだけ」だと思い出してほしいのです。

今が「要る時」です。

これを越えないと出来ないと思っている事を、

どう越えるかでなく「そもそも越える必要があったのか」まで掘り下げるのです。

 

自分の中にある全てのハードルを検証しなおしてみたら?

今までの常識を超えた事態に、今までの常識で対応できるでしょうか?

多くの人が、今までの人生設計を踏み外したら幸せになれないと決めてかかっています。

自分の周りの小さな事から考えてみてください。

震災の後、身にしみてわかったのは

当たり前に家族顔を合わせて生きていられるかも不確かだと言う事です。

安全だと思っている事は安全ではなかったわけです。

では、実際にどういう人が自分の大切なものを守れたのでしょうか。

不可能だと思わず、常識を超えて行動した人たちです。

自分独自の考えを持ち、信じて動いた人です。

皆が今も昔も「いいな」と憧れる人はどんな人たちだったでしょう?

常識にとらわれずに変化する事を恐れなかった人じゃないですか?

その強さが自分の中に無いと決めてるのは誰ですか?

いいじゃないですか、こんな世の中で認められなくても。

自分が納得する人生を歩むことをまず家族と話し合ったらどうでしょうか?

それを話し合えないと相手を見くびっていませんか?

周りも、自分もバカだと決めてかかってるのは、

本当の所自分自身じゃ無いかと私は思うわけです。

 

全ての大人たちが、全てを乗り越えて大切なものを守れます。

それを見て、子どもたちは賢く育っていきます。

そうやって育った子どもは、そんな状況でも負けずに幸せになるでしょう。

 

私の文章力でどう伝わるか、とても心配。

マスコミやツイッターでも追求されているように、東電も国も対応が悪すぎます。

けれど、そもそも原発が作られて原発事故が起きたのは、

電力会社と国が「大間違いのアホたれ」だったからです。

日本には当然来るであろう地震と津波の被害にあったのも、

日本という国が地震と津波とセットで生きているのを知りながら

何の対策もしない「バカだった」からです。

しかも、知っていたのにやらかしました。

そんなものが、昨日今日で変わるでしょうか?

そんなものの言う事が信じられるでしょうか。

私は大企業のパンフレットを作りますがそんなものでさえ、

OKが出るのに何ヶ月もかかるんです。

大きな組織は、お母さんが献立を決めるように急に変えたりできないと思います。

ましてや、組織の体質を変える事、その変わった新しい考えを浸透させるのに

どれほどの時間がかかるでしょうか。

そして、この二つのアホたれを野放しにしてバカなものや仕組みを

作らせてしまったのは私たち国民です。

でも、その両者は私たちが居ないとやっていけません。

私たちが正く目を光らせていればこんなことになるのを許さなかったでしょう。

ですから、変わるのがすぐに自由に出来て一番効果があるのは個人です。

私たちが「これ以上の間違いを許さない」「自分の人生のリーダーは自分なのだと気がつくこと」が

最短で正しい幸せへの道だと思っています。

誰か疾風のように現れて助けてくれるヒーローなんて居ません。

ひとりひとりが、そのヒーローは自分だという事、自分にしかなれない役目だという事に気がついたら

今の事態はどう変わるでしょうか?

コメント (1)

  1. sachizo より:

    2児の母です。
    子供達の通う保育園で、表土の撤去作業をやっています。
    今は仕事を休んででも、子供達の為に!!と、作業していますが、
    園全体を見ると、冷静というか・・・温度差を感じます。
    そんな時、柚木さんのイラストとブログに出会いました。
    ボンヤリしていた自分の気持ちが、ハッキリした気分です。
    どうしたいのか、何をやりたいのか。
    今日からまた微力ながらにも頑張っていこうと思います。
    柚木さんのイラスト、使わせていただきます!!!

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