「差別」という事からいろいろ考えてみました。
ツイッターで見かけました。
「息子が福島県の人と結婚するっていったら全力で反対する」
不愉快な気持になりました。
そして、悲しくなりました。
不愉快なのは、こんなことをわざわざツイッターでつぶやく心に。
これを言った人の目的がわからない。
悲しいのは、いまあふれる障害を恐れる言葉に今すでに障害を持って生きている人は
どんな気持で居るのだろうと想像したから。
どんなに孤独であったか、差別を受け続けてきたかを見た気がしたから。
追記 だいじなことを言うのを忘れました。
どうか、こんなバカな話しに心折れないでください。
こどもを産む事、結婚する事を迷わないでください。
こどもを持とうが、持たなかろうが、被曝からは身を守ってください。
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差別をなくすために
子ども用のテキストに
放射能がうつらないということを書きました。
相手の心を想像する事も。
でも、差別ってほんとうはどういうことなのだろう。
大人の間でもまだ整理されてない気がします。
自分も含め、この世の中というのはまだまだとても未熟なのだと思う。
障がいを持って産まれてくる子が幸福を感じて生きる事を想像できる事も、
誰もがもっと自分や他の人の可能性を信じて生きていく事も
被曝を防ぐ事や、原発問題に深く関わる気がしています。
これらに限らず全ては、個人の哲学の問題でもあるから。
「個人の哲学の問題」という言葉は、おさやんさんがコメントに書いてくださったものです。
なるほど、そうだとうなづきました。
障がいや病気、宗教や、人種、考えなどの違いは個人の個性として当たり前にそこにあって
それぞれだれ一人として同じでない個性ある人たちが 同じ場所に知恵を寄せあい、
自由に暮していくことが出来るのがこれからの新しい未来のような気がします。
私たちは、大きく舵を切って変わっていかなければならない。
エネルギーだの、経済だの言う前に、それらを変えていくことを考える資格のある「人」にならないといけない。
このつぶやき知ってます。私も悲しい気持ちにもなりました。
このつぶやきした人、半分は本心では言っていないようにも感じました。
そうならないように早く逃げろ!っていっているんだって私は感じました。
だからといってその言葉を肯定はしません。
放射能は遺伝はしません。ただ、健康上なんらかの影響が出てくる可能性はあります。
それを知って、理解した上で、どう行動するかを考えて欲しいのです。
私はできれば逃げて欲しい。(おそらく問題の発言をした方と方向は同じです)
でも、いろいろな事情で動けないならば、その場で放射能を避けることをやって欲しい。
除染もやるべきだけど、思っていたより長い時間がかかることもわかりました。
食べ物飲み物はほんと、気を付けて。
聴きたくなくても聞いて!そして理解してください。
差別をうけないためにも。
差別を受けたとしても、堂々としていられるためにも。
差別。
「風評被害って差別なんだろうか?」
って少し考えた。
知らずに作ったものを食べてくれない。
買ってくれない。
それは本当に辛いことだと思う。
寂しいことだと思う。
でも、本当のことを知っていたら作った?
騙していたのは誰?
隠していたのは誰?
「風評被害」って差別なんだろうか?