この先、放射線の影響によって障害児は産まれるか。

「福島県の女の子は、子どもを産むことが出来るのか」

「この先、放射線の影響によって障害児は産まれるか。」

私の考えを申し上げておく。

質問に先に答える。

Q.「福島県の女の子は、子どもを産むことが出来るのか」

柚木A.「じゃんじゃん産んでいい。迷うことはない。」

Q.「この先、放射線の影響によって障害児は産まれるか。」

柚木A.「わからん。けれど、ほとんどないと私は思う。」

 

名古屋に住む私のムスメにも同じ答えをするだろう。

この二つの問題は、まったく意味が違っている。

「産んでいいのか?」これは、道徳的な質問。たとえ状況がどうあれ、産みたければ産んで悪い命などない。私の友人達が挑戦する高齢出産、障害を持つ女性の出産と同じである。命が意志を持つ前に選択するのはナンセンスだ。これを、さも苦労するのをわかっていて産むなんて、などと批判するのもまた、ナンセンスだと考えている。100%障害が出ることが確定していても変わらない。

「障害児が産まれるかどうか」これは、遺伝子学的な質問。絶対はありえない。ましてや前例が無いことだ。どれだけ被曝したかによるし、その人に放射線でない、先天的な異常があるかもしれない。だから、答えは「わからない」だ。大丈夫だよ、と誰かに太鼓判押してもらいたい気持はわかるがだれにもそれは出来ない。そういうもんだ。そういう心配を越えて命は産まれてくるものだ。

私は、こういう事に対して図太いんだと思う。子供の幸せを考えた時、五体満足は必須条件じゃないから。「よろこんで生きてる」が、私の願いで子供の幸せだと信じている。そこに、身体的な満足は、必ずしも必要じゃない。この問題についての私の考えを書いておく。

【命を育むということ】
どんなことがあったって、我が子は愛しいと感じる。けど、条件付きでしか守れないなら産まない選択もアリ。そもそも、産むのが正しいという考えも私は持ってない。これは、障害が出るのかでないのかでは無く、自分のキャパによって決めればいいと思うんだ。「自分のキャパシティーによる選択」であるわけ。世の中にはすでに、事故による放射線なんて無い時から多くの女性が自分の意思によって「産むか産まないか」を選択してきたじゃないか。結婚しない、子どもを持たない。 それに、誰も言わないだけで、誰かの意思によって産まれなかった命は数えきれない。そうそうきっちりどの夫婦も2、3人の子供だけを授かるわけじゃない。先に生まれてる子ども、自分の能力を見極めて調整してきたのが人間だ。これは、日本では産婆の歴史からもわかる。もらいっ子も私の年ではよく聞いた話しだ。自分の人生をどう生きるかは、産まれた命がどう幸せをつかむかということと同じでないだろうか。私たちも産まれた命だ。そしてその人の持つつよさは誰もが同じ所同じようにつよいわけでない。そこを認めたいと思う。選択は自由だ。自分には受け入れられなくても。

【障害を持っていると問題なのか】
私からしてみれば、問題じゃないことを問題として、人の心にある闇隠して「子供の幸せ」を盾に議論してる気持悪さがある。そこじゃね〜だろ、論点は!と思う。障害を持って産まれてくることが問題なんじゃなくて、障害者として産まれちゃったら本人と、その家族が思うように暮らせないのが問題だろうが?私は、放射性物質がぶちまかれちゃったのを、チャンスにしてその考えを根こそぎひっくり返したいと思ってるのだ。今から産まれてくる放射線に関係ない障害者のことも、今頑張って生きてる障害者のことも一緒にまとめて解決したいんだ。でないと誰もが笑って暮らせないでしょう?ここ押さえないから、気持の悪い主張になるんだよ。障害は問題じゃない。障害を問題とする社会や考えが問題だ。

【では、心配する気持をどうするか】
私にはどうにも出来ない。それは、それぞれの考え方だから。

心配事を検証してみる。
自分が何を心配しているのか、自分が行っていることをじっくり検証してみてほしい。差別発言に苦しむということは?自分の心に何があるのか。「結婚して五体満足な子どもを産む」のが全ての人の人生の目的なんだろうか?自分が信じている正常は本当に正常なの?しかも、少々の放射性物質の影響を心配しても、ずっと前からある化学物質の影響のほうがあるかもしれないんだよ?だから、心配するな!じゃなくて、おなじような数々の心配の中、命は産まれてくるものなんだ。

放射線を学んだ上でもう一度考える。
他のリスクとともに放射線についてもしっかり学ぼう。他人の意見を聞くたび心配になるのは、まだ自分の考えにたどり着いてないからだよ。しっかりと揺るぎない考えを持とう。そう思って私は子供たちに放射線のことを学んでほしいと本を作った。不安があるなら不安のもとを勉強しよう。そして、私が考えているように「自分がしあわせに生きていくのに本当に必要なこと」に気がつき、社会を作っていける大人に育ち、同じように子どもも育てたい。子供たちが、自分のために、自分の愛する人のために私たち大人と一緒に新しい社会を作って行けるよう。子どもをしあわせから遠ざけるのは放射線じゃない。私たちの浅はかな心だ。そんな心で作ったこの世界だと私は思っている。先ず自分の心から見直してみるのがいいんじゃないだろうか。

揺らがない心を育てる。
私は自分の立場からしか考えられないけれど、娘が放射線の高い場所で暮らす決意をせざるおえないのなら、息子がそういう所で育った子と子どもを持つなら「心配するな。たとえ何があっても私も全力をつくすから産むのを迷うな」と言うと思う。ほら、言うこと変わらないじゃない。どこの子でも、被曝があろうが無かろうが。ツイッターや雑誌の記事などで、心を痛めることもあると思う。けど、誰がなんて言ったって痛めることはないんだよ。そもそも誰にも今わからないことなんだ。自分が何にどんな影響を受けるのか選べる所までが、いわゆる情報リテラシー(情報を自己の目的に適合するように使用できる能力-wiki)だと思うよ。心つよくあってほしい。

色んなことを言う人がいるけど、それを押さえるのではなく、そこから何を感じるか自分を鍛えるほうがいい。そういう子に育ってほしいから自分もそうする。自分でつかみ取る子に育てるには、大人が自分育てをしなきゃ出来ないと思ってるから。

【で、放射線の影響がある子が産まれるのか】
わからん。誰にもわからん。
私は、これからの被曝量にもよるんじゃ無いかと思う。そして守れていれば影響はないかもしれないって思う。郡山のある小学校では鼻血も体調不良もないそうだ。放射線防除の意識が高いからじゃないんだろうかと私は思っている。だから気をつけてほしいよ。だからね、放射線の高い地域に住むなら放射線のことを勉強しないではだめだよ。「よくわからないんです」じゃ守れない。(人の言うことまんま信じるなよ、自分で勉強してたどり着けよ。ポスト3.11を笑いながら生きるために必要なサバイバルスキルを上げるために)

【みんながもれなくやって行くこと】
私は、障害児が産まれるかどうかより、今の子どもに影響が出るのを心配はする。自分が住居可能な所に住んでいるか、しっかり測らなきゃだめだ。私は母子家庭で子どもを育ててきた。子どもが熱を出したって、自分が何所でも仕事ができるよう(そうしないと出来なかった)サバイバル対応できるよう20年かけて作ってきた。だから訓練されてるから私ならあっさり引っ越して子どものことはめでたしめでたしだろう。他の人たちはそうはいかないのはこの一年でよくわかったし、それでも私は未だに何かいい方法は無いか探すのをあきらめていないけどね。

これは是非みんなに準備してほしいこと。地震の国にこれだけの原子力発電所がある。ありえんでしょ?環境が変わるのは…ずっとすんだ場所だから…などというクラッシックな生き方から目覚めて、今回の事故でうっかり気がついちゃった「ありえない状況」で起きる可能性のある更にありえない状況に、対応できるよう準備して生き方を変えなきゃだめだよ。

もう次は、私たちにも原発事故も津波も地震も想定内だから。何所に住んでいたってさ。みんな、もれなく変わらなきゃいけないんだ。それをしていくときに、今日取り上げた問題への考え方が大きく関わると思う。常識なんて壊れたんだ。いままで信じてきたことなんか、ちっとも真実じゃなかったんだよ。未だに、今までの暮しや常識を基本に考えてるのが私には不思議だ。自分たちでまったく新しく未来を切り開かなきゃならないんだ。放射性物質が飛んできたとき、軽やかに移動できるサバイバル力も準備するんだよ。このまま元に戻ることは出来ないって知らなきゃならない。国の不準備と同じに、自分たちの不準備をくり返して子どもをこれ以上被曝させちゃならない。今の考え方で一生を終えられるなんて思ってちゃ甘い。子どもの教育も、自分の考え方もガラッと変えなきゃならないのに気がついてる?

こういう事を、親が子どもに教えてやらなくて誰が教えるんだ。私はこうやってつよく立ち向かうことを子どもに教えることが、子育ての大事なところだと思う。後は、勉強なんて出来なくってもいいさ。

私は国やクラッシックな生き方に拘束されて生きるのなんかまっぴらだし、子どもにもそんな不自由させたくない。「私って子どもが産める?」なんて聞かれたら「アホか、産めるにきまっとるじゃろうが。日本がこれだけの状況で、何も勉強せず放射能差別なぞアホなことする男なぞ婿にするでない。」と言うだろう。かえってこれがいいフルイになって、きっといいパートナーをつかむに違いない。

私は出来ないからやめるなんて選ばない。願いを叶えるために出来ない理由のほうをやっつければいいんだから。そのためには出来ない理由をちゃんと見極めることが大切だよ。全てにおいて。

(よく練ってからアップすべき日記だけど、今必要だと思うのでとにかくアップ。追記しながらもっと深めていきたいと思う。)

2012.3.13追記
私はずっといっぱいいっぱいまでモノゴトを抱かえ込んで余裕が無かった。二十年も。みんな余裕が無いんじゃだめだと思った。今みたいに、余裕無く暮していたら人のことなんてかまっていられない。もっとゆるく生活できるようにしないと私の好きなように生きられない。声かけあって、助け合って生きられない。隣りの子どもの様子をいちいち気にしてかわいく思っちゃう余裕も無い。それはとてもつまらないことだ。

 

コメント (2)

  1. ミウラ1号 より:

    「じゃんじゃん産んでいい。迷うことはない。」…ほんとにそうですね。
    必要なことは自ら学んで、生き生きした社会を作っていきたい。

    • yugi misato より:

      みうらいちご〜!
      うん、生き生きした未来を。はりきっていこうね。^^
      opkでの演奏素晴らしかった。のびのびかけたよ。

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