人生のスイッチ

震災から1年半。 描くこと、考えるこ

とをやめる気にはなりません。

けっきょくね、人の事はわからんよ。決められんよ。命令も出来んよ。間違いなく、誰もが自分で選んでる事やもん。誰かに強制される事も。そう信じてるだけで。

すべてから自由になるスイッチは自分が持ってるのだと思うよ。

あるとき、ふっと「しゃあない!」と人生の面舵いっぱい切れるのはわしの経験と、幼少の頃から考え抜いた歴史があっての事じゃもん。それを決める時、突き動かされているから、わしにはちっとも苦労じゃない。苦労が無いのよ。大決心の時、いつも。何も恐くないのよ。無になる。(そういう事が何度もあったよ)

だから、どうしてそうなるのか考えてる。だって、楽々大決心。清々しささえ感じて、しかも一切後悔が無い。そうやって出来たらすごくいいじゃん。でも、自分でもわからないんだよ。どこから湧いてくるのか。で、間違いなく、イヤだから逃げるんじゃなく希望に向かってる感じはあるじゃよ。

で、私は自分のスイッチを押せるようアホみたいにずっと考えてる。押せる人から自分のスイッチを押してみせる以外に、方法は無いと思う。そういう人があふれてきたら人のスイッチもうっかり押せるかもしれん。

そこに住んでどういう人生を送るかは、その人にしか決められん。じゃが、被曝のことや災害で困ったことは、私も分け合って改善に参加していくのが自然だと思ってる。

それに、私は私で物心ついたころから今の世の中は生きにくくてしょうがないので変えたいと強く願っている。本当に今の問題を、未来に繋げて切り込んで考えてる人は少ない。おかしな世界の仕組みを指摘しながらその仕組みの中で生きる事を条件にして苦労を重ねる。明治のころからの決めごとを変えないで。ちょっとどころじゃなくズレてるんだ。考えているうちに、これは「何所かを助けたりとかじゃないぞ。自分の事だ。もっと分けてもらって取り組みたいと」思った。他人事ではないのよ、自分事だった。

危険を避ける事も含め、人は自分が好きな場所を転々と選び色んな人生を楽しめたらステキと思ってる。自分が狭めた選択の中で窮屈に悩むのはナンセンスだと思ってる。けど、それは素晴らしい選択が他に有ると信じてるから言える事じゃと思う。これから大人になる子にも選択枝が広い人になって欲しい。

選択を広げたい。何があっても必要な時、らくらくスイッチが押せるように。

もしか、スイッチに気がつかなくても、思うようにならんくても、誰かが勝手にやった事でも、困った時には手を貸せばいいじゃん。誰もよけいな苦労はせんでもいい。お互いさまの輪の中にみんな居るじゃで。人だけでなく全てが。

全てだよ、自然も、宇宙もだよ。自然の中に人間がお邪魔してるのでないと思う。

みんな、お互いさまなはずなんだ。

 

 

※添付は入ったら出られなくなるおトイレ。

見たい方はクリック300枚くらいあるはず。(一枚スイッチの絵があります。)うひひ。

http://togetter.com/li/236219

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