赤ちゃんと漫画家さんの事

あ〜〜、今日は少々長くてややこしいよ。

私と同年代の女性漫画家さんが、飛行機の機内で泣き叫ぶ赤ちゃんに我慢できなくなり、航空会社にクレームをつけたのがニュースになったの知ってる?

http://www.rbbtoday.com/article/2012/11/20/98046.html

一部コピペする。
同記事は、さかもとが今夏に搭乗したJAL国内線の飛行機の中で起きた出来事を記したもの。記事によれば、さかもとは機内に同乗していた1歳くらいの乳児が泣き叫んでいたことに耐えられず「ブチ切れて」しまい、 「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と、着陸準備中にもかかわらず席を立ち、出口に向かって走り始めたのだそう。そしてさらに、乳児の母親に「お母さん、初めての飛行機なら仕方がないけれど、あなたのお子さんは、もう少し大きくなるまで、飛行機に乗せてはいけません。赤ちゃんだから何でも許されるというわけではないと思います!」と告げたのだという。

 そして、飛行機が着陸した後もさかもとはこの一件について納得がいかなかったようで、JAL側に対応に関するクレームを入れるとともに、航空法や飛行機の現状を知るべく広報部に取材を申し込んだそう。整備中の機体などを見学しながら、広報担当者への取材を通じ、なぜ今回のようなことが起きたのかについて確認したという。記事内でさかもとは、泣き叫ぶ乳児を隔離するために防音壁のある個室を設けることは航空法の規定によりできないことや、機内での乗客マナーの周知は冊子を配布して行なっていることなど、取材して得た情報を紹介するとともに、「搭乗マナーや機体の工夫について、議論すべき余地はまだまだあるはず」「航空法や搭乗規定、機内の装備だって数十年前につくられたそのままじゃなく、改善できるところはすべき」と問題提起した。

 さかもとが、記事を通して最も伝えたかったのは、おそらくこの「議論すべき余地」についてだろう。「いやだなあ。みんなに『嫌なおばさん』と思われる。でも、本当にそう思うんだもの」と、複雑な思いがありつつも、問題を提起して、議論が行われることを望んでの行為だった、と読むこともできる。

 

その後、多数の有名人から、子どもは泣くものだとお母さんと子どもをいたわり
その漫画家を避難するコメントもまたニュースで取り上げられた。↓

http://www.rbbtoday.com/article/2012/11/20/98074.html
こうくくられている
我慢――。かつて日本人の美徳とされたこの行いが、どうやら今回のさかもとの行動にほんの少し足りなかったようだ。

私はさっき知って、腑に落ちないところを書きとめておこうと思った。
私も子どもを持っているし、人の子どもでも泣くのは仕方ないと思う。

けど、なんか違うぞ。
誰もが快適な搭乗が出来るよう配慮するのはお母さんや他のお客さんだけではないはず。
みんなで我慢すればいいのか?なんか、ごちゃまぜになってないか?

更に、あるイラストレータがそれに関してツイートした記事を読んで、あ、と思って書こうと思ったんよ。
こんな記事よ。

バスと赤ちゃん

今回は滋賀県のある方から紹介していただいたお話しです

 東京にいた今から十六年程前の十二月も半ば過ぎた頃のことです。私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。
 その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。昼近くになって、病院の診察を終え、バス停からいつものようにバスに乗りました。バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。車内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどでした。
 間もなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分、病院からの帰りでしょう、どっと多く人が乗り、あっという間に満員になってしまいました。
 立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。バスが静かに走り出した時、後方から赤ちゃんの、火のついたような泣き声が聞こえました。私には見えませんでしたが、ギュウギュウ詰めのバスと、人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく、泣く以外方法がなかったのだと思えました。
 泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向かい走っていました。バスが次のバス停に着いた時、何人かが降り始めました。最後の人が降りる時、後方から、「待ってください。降ります。」と、若い女の人の声が聞こえました。その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。その時、私は、子供の泣き声がだんだん近づいて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、と分かりました。そのお母さんが、運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと、運転手さんは「目的地はここですか?」と聞いています。その女性は気の毒そうに小さな声で「新宿駅まで行きたいのですが、子供が泣くので、ここで降ります。」と答えました。
 すると運転手さんは「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗って行って下さい。」と、その女性に話しました。
 そして、急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、「皆さん この若いお母さんは新宿まで行くのですが、赤ちゃんが泣いて皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りると言っています。子供は小さい時は、泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい。」と、言いました。私はどしていいか分からず、多分皆もそうだったと思います。ほんの数秒かが過ぎた時、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは、何度も何度も頭を下げていました。
 今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、こころにしみる思い出です。

素晴らしい運転手さん。拍手が起きたのも嬉しいとてもいいはなし。わしも目頭が熱くなった。

でね、これは運転手さんの行動がみんなを和らげたってことが素晴らしいし、受け入れたお客さんも素晴らしい。
でもさ、なんかヘンじゃない?
たしかに、「子どもを飛行機に乗せてはいけません。」は行き過ぎ。
でも、子どもを嫌がるなんて人としてどうなの!というような批判も行き過ぎだと思う。
はしたなかったとは思うが、悪いのか?とも思う。
子どもを嫌う人もいる。でもさ、人には言えない訳があるかもしれないよ。
私は、子どもを嫌いでもいいと思う。我慢できないこともあると思う。
私は、子どもの事を微笑ましく愛するようにそれも許容したい。
出来れば、バス運転手さんのように気転を利かせてお母さんや苛立った人に話しかけられる人でありたい。
運転手さんがお母さんを助けたように、漫画家さんをたすける人がいなかったのはどうしてか。 

それに、ママのためにもサービスの充実した快適な空の移動が出来るよう子ども便があってもいいかもしれないし、
考える事はまだまだあると思う。

「車内は快適であるべき」という漫画家さんの主張と、「子どもにとお母さんにはやさしくあるべき』
の2つは同じ匂い。
「子どもなら許されてもいいの!?」「子どもだからしょうがない!」そんな問題だろうか。
「個人が尊重される」という視点に立てば誰も責められない気がする。
みんなのあたたかい我慢をしてもらっても私だったら心苦しいね。
相談するのは「みんなが快適になるには」だと思う。
子どもを飛行機に乗せる人は、医者に眠くなる薬を処方してもらったり、しなくていいトランジットをしたり大変な苦労をしてる人もいる。そのいっぽうで、子どもを盾に親の怠慢が目につく事も。
それらは「べき」が悪作用してるように思う。

これらの事は、全ての人が子どもを守る事をする仲間に入れられながら、
子どもと関わる機会も無く、子どもの特性を許容しにくく育った事(街に子どもがあふれていない、叱る事も喜ぶ機会にも出会わない)
や、キャリアウーマンや子どもを持たずに生きる事の自分自身の葛藤や、たくさんの背景がある気がする。
この国は、子どもを持たない女性には息苦しい。その上、子どもを受け入れられない人への風当たりは更に厳しい。
「『嫌なおばさん』と思われる。でも、本当にそう思うんだもの」という言葉に切なくなった。
この漫画家さんががどんな人だかまったくわからないけれど、
もっともな正義に、言えない心を両手でつかんで声を殺して泣いてないかと思う。

子どもは問題じゃない。子どもを嫌う事が問題じゃない。
「誰もが快適に暮らせるように。」子どもにだけでなく、
一見我がままだと思う人にも同じようにやさしく声をかけられないものか。

 

まだいろんな事が時代やそれぞれのおかれる状況に似合っていないんだと思う。
変わっていく途中だから、しっかり改善するポイントを見極めたい。
なので、私はこう思う。
ひとりひとり、出来る気遣いをするのは言うまでもないが

【お母さん】は、
少々の事気にしないよう図太くなって欲しい。
誰もが目を細めて我が子を見てくれなくても、自信満々で居て欲しい。怠慢じゃないわよ。満々。
間違いなく誰もが小さな子どもだったんだから。
家の子に鍛えられれば、次こんなことがあってもへっちゃらになれるかも」ってぐらい。
世の中にはいろんな人がいる。子どももそういう中で生きていく。
「ごめんなさい、ありがとう」その気持は持っても、悲しくは思わないでいいでね。

【子どもを許してくれる人】も余裕がある人は、
こんなシーンで使えるシャレたユーモアを研究しといて欲しい。
それと「子どもを大切に思う」ことさえ「当然だ」と主張したら、
場合によっては人を傷つけることがあるのを知ってて欲しい。
みんな我慢しよう!になってしまわないように協力して欲しい。
方法があるなら、親だってみんなに我慢無く快適にいて欲しいから。

【子どもをうるさく思う人】は、
そんな自分を責めないでいい。
わしだって、育ててても「まいったな」って心底思うことがある。
免疫が無くてもしょうがない。
出来ればこちらも気持よく意見できるよう磨いて欲しい。
自分の快適は望んでいいこと。
それを伝える方法を考えたらどうだろう。
普段から余裕を持って提案できるよう心がけて、あらかじめ行なっておくとおくと世の中は変わるかもしれん。
いいアイデアがあるなら、実はみんなが嬉しいかもしれん。
意見や提案がエレガントに出来たらステキではないか。

【ビジネスで子どもに関わる人】は、
子どもを含めひとりひとりの望みにプロとしてまだ考えることはないか よく話し合って改善して欲しい。
時代とともに進んで欲しい。 (子ども便は受けるそ!儲かるかもしれん。)
お客さんにはいろんな人がいる。誰をも区別せず、バスの運転手さんみたいにステキに助けてあげて欲しい。
その人の人生に役立つような「お客様のために」が出来たら最高のサービスだじゃぁ。
私は我がままでかんしゃくが強く、若いころは子どもが苦手だった。
子どもを持っても、お母さんはこうあるべきや
育児の決め付けにソリが合わなかった。
けど、お母さんの気持もわかる。
地下鉄で、仕事で、子どもを連れて外へでなくてはならない事は
昔の子育てする母よりずっと増えて、世の中はそんな状況に追いつかず、
一人で泣いた事も数えきれん。
「べき」に守られもしたけど、「べき」に泣いた事も。
だから、この話は切なくてしかたが無い。

どの立場にも私は当てはまる。出来るようになりたいを書いてみた。
どんな人も、子どもでも大人でも
誰かの欠けてる事に厳しくなり過ぎないようにしたい。
みんな強くやさしく図太くおおらかになろう。
子どもがギャーギャー泣く事も、いっぱしの大人がギャーギャー言うことにも動じないで。
みんなのうれしいのために。


めっちゃえらそうな〆になってしもうた。すまんのぉ。

よろしければコメントを残してください

CAPTCHA


訪問中 :
Fatal error: Uncaught Error: Call to undefined function counterize_get_online_users() in /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-content/themes/mikan_blog/sidebar.php:106 Stack trace: #0 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-includes/template.php(688): require_once() #1 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-includes/template.php(647): load_template('/home/users/2/a...', true) #2 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-includes/general-template.php(110): locate_template(Array, true) #3 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-content/themes/mikan_blog/single.php(29): get_sidebar() #4 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-includes/template-loader.php(74): include('/home/users/2/a...') #5 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-blog-header.php(19): require_once('/home/users/2/a...') #6 /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/index.php(17): require('/home/users/2/a...') #7 {main} thrown in /home/users/2/afrogs/web/mikanblog/wp-content/themes/mikan_blog/sidebar.php on line 106