自然に考えればこうなる。
なんで二年も経って、我慢させる構造なんだろう。
なんで、未だに個人の決意と苦労が要るんだろう。
それを事情も知らず強制するんだろう。
わしには理解出来ん。
けど、傷つかなくていい。
誰もあなたのやってることも考えてることも全てを知らないんだから。
今までの生活にどんな苦労が上乗せされて何が無くなってるのか知らないんだから。。
遠慮せず協力を求めて。
相手の条件をのんだら協力してもらえるなんて、そもそもおかしいじゃないか。
都合がいいとか、自分勝手とかじゃない。
そのひとにとって必要な願いを叶えるのが本当の助け合いだと思う。
誰かが自分と違うことをしたって、自分のやることを否定する力は無い。
そう思い込むだけだ。
堂々としてていい。
自分のやることにだけ注目して。
自分が望むことを叶えるためにはりきって。
他の人が、そこに居なくても気にしないで。
自分の近くの人に手を貸して。
遠くの人がこっちへ来ないことに憤ってる暇はないはず。
自分の受け持ちだけでもちっとも足りていないのだから。
よそ見をしないで。
集中しよう。
そうでないと子どもは大人が成長して効率よく動けるようになるまで
無駄に苦しむことになる。
これ以上上乗せしなくていいじゃないか。
皆の準備や成長が進むまでに、
こんくらいのもん作っちゃうくらいの太っ腹になりたい。
そうなったらこれも無駄にならないはずだ。
ちょこちょこ除染して何とか我慢してなんて国はアホかと思う。
我慢なんてしちゃいけない。
これは、アホな政策と社会が起こした間違いだ。
残念だけど、これくらいのことしないと被曝は防げない。
でも、これくらいのことすれば色んな問題を減らせる。
リスクが低くなればいい。他の問題もクリアすればいい。
「ここに暮らしたい」「被曝させたくない」叶えるとこうなる。
無謀だとは全然思わない。
これが叶えば、叶えられる社会なら、
どこに暮らしてもやっていけると皆が信じられると思う。
子どもを守りたいじゃんね。
のびのび運動させたいんじゃんね。
そこに居る子を1分一秒被曝させないことはもったいないか?
やっぱりホントの外がいいって、いつかゾロゾロ出て行っちゃったって
信じあえるならおねだん以上。
それに、研究する人、管理する人、住まねばならない人は要るんだから。
この地で暮らす人は居なくならない。
私たち皆のために危険を冒して働いてくれる人たちは居なく出来ない。
いつまで過酷な生活をそのままに?