前提が悪人である思考

あるイベントの反省会で「目的の違うカンパ箱がおおすぎて嫌な感じがする」という意見がでた。

私はそうは思わなかったので考えてみた。

私はカンパや寄付が出来るよう別財布で小銭を持って行く。気に入った場所に寄付する。今回はここは入れないってスルーする時もある。お財布具合がさびしい時も。別にどれだけカンパのお誘いがあってもかまわん。出来る時はするし、そうでない時はしない。同じ会場で自分の活動に寄付を募り、個人的なお財布で別のチームに寄付したりする。これこそお互いさまである。活動と個人の財布は別なのだし。お金は循環して動き回ってこそ活かされる。きっとまた戻ってくるもんだ。
今は、お金は溜め込んでこそ安心、自分から離れたお金は無いも同じと思い込まれてるからうまく機能していないと思っている。「お金ってどういうもの?」ってところから意識を変えるといいと思うけど、これは時間がかかることやね。

さて、
なんでヤな感じがするんだろうか。
「くれくれとおねだりする感じがする」のだろうか。
それは、空になるまで吸い取ろうとしてるような感じがするのかもしれない。

スルーするのが心苦しいのだろうか。
「寄付に無関心であると思われたくない」のであろうか。
寄付に気が向かないのは歓迎されないとおもってるのかな。

隠れているのは、
性格の悪い人、人の役に立つことを喜べない人、その人なりの事情や考えがあることを認められない人
そんな人が居る前提の心配であるような気がする。
「いいことをしない人は正しくない」っていうのがうっすらあるのだとしたらなんかきゅうくつ。
誰かがやってることが自分を責めるように感じるのはおかしなことだ。
いっつもたくさんは出来ん。
「今日は1箇所しか出来んでまた今度ね!」で、いいじゃないの。
お互いさまのチームワークだと思う。
ほんとうのお互いさまは深くおおらかだと思うんだ。

前提が悪人である思考って、色んな場所でやたらにある。そのせいで決めごとが多くなる。快適は状況でなく、心持ち、それぞれの自分の内にあるんだと思う。私はもっと他人を信頼したい。
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コメント (2)

  1. のもと ゆかり より:

    ミサトさんとはFBでもお友達繋がりして頂き、感謝です♪
    これ拝見していて、いろいろな立場の人がいて、
    やな感じの人もいて、それでいいんだと思う。
    口に出さないと、察することが出来ない人もいるし、
    咄嗟に察してあげられる人もいる。
    私は今無収入だから、あんまりあちこちからカンパを要求されると、
    勘弁してくれよ~と思う。
    だって、原発問題でも何百と団体がデキちゃったでしょう?
    勿論,原発1つとってもありとあらゆる問題が絡むから、
    原発のこっちの問題,あっちの問題の部門と別れるのはやむなしですが、
    例えば今私が問題視しているのは、TPPなんです。
    1つにグループがまとまっていなくて、3つ位に分かれてやっているらしい。
    それぞれに参加する度に、カンパ迫られたら体ひとつだしかなん^^;
    だから、言える人には説明して今苦しいことを言うし、
    言える関係がなかったり、急いでいたりするとスル―。
    でも小さな団体がこまごまとやるよりのは、お山の大将が多いからお互いが一緒に行動出来ないのかな…なんて思う事がある。
    俺様がトップでない団体には関わらない…とか、誰それがリーダーだから私は今この団体を支持しているのよとか…。
    そんな思惑があるなら、早く卒業して欲しい,もっと成長して欲しいと思う今日この頃なのです。

  2. のもと ゆかり より:

    「それぞれに参加する度に、カンパ迫られたら体ひとつだしかなん^^;」
    →「それぞれに参加する度に、カンパ迫られたら体ひとつだしかなわん^^;」
    と訂正致します。

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