バリ島へ行って考えた事(帰国後まだまだ深め中)
11月18日まで、またバリ島に行ってきました。
いつもは仕事とともにいくのですが、今回は自然と仕事が無くなりました。干されたのではなく持ってた仕事全てが順調に進んでミラクルに修正も無く完了して『請求書書いてね!』「なんと何事も無く完了しました!』というメールばかり届きました。
30年も付き合いのある友人が人生を決断する旅でもありました。それに立ち会うのが目的でもあったのだけれど、友人と一緒に過ごしバリの友だちにもたくさん会って話して、やっぱりずっと色んなことを考えました。私はずっとあらゆる問題はいっこの仕組をなぞって出来ていて全てつながってると考えてきました。ひとりひとりの人生もいいこともそうでないことも全てつながっていて、それを「おたがいさま」と呼ぶのだなってこの旅でますます確信しました。
私が何をするかしないかによって、色んなことが変わります。今家には身体が弱っていく母が居て私が留守をすると母の快適(寿命)に関わります。もうずいぶん大きくなって大人の手前ですが子どもたちへの影響もあります。収入面、傾いてヨボヨボだけど会社があって返済や事務のことで家族への影響も。
これは、私に特別に起きている状況でなく、みなそれぞれにマトリョーシカのように内包されているのだと思う。一番外側のマトリョーシカは宇宙なんだと思う。
世の中の仕組みは感情や経済政治、科学や自然と分けたがるけれど、マトリョーシカなのだから分かれないと思うの。無数に内包されて出来上がっている人がそれぞれを動かしていてとても複雑。けれどそもそも人はそのような複雑で不思議な生き物であって、複雑さを楽しむ無敵な能力があるのだと思う。
昔々のまだ人が未熟も成熟も感じなくてよかった頃、その能力を難なく活かしきっていた頃、ふと好奇心で色んな実験をしてきたのじゃないか。便利に都合よくなることも見つけてどんどん進んできたんじゃないかな。
と、途中まで書いてなかなかアップできずに居ました。
で、11月30日から今日で5目、いま、福島県に居ます。
で、ホテルのチェックアウト時間まで続きを書いてみます。
数週間で考えていた事がずいぶん深まりました。
たくさんの人に合って、合わなくても周りの人にもたくさんのことが起きて、どんどん考えを深めることになりました。
友人は仕事を止める時期を迷っていました。私は「明日はわからん、夢なら早く叶えたほうがいい。」そういい続けとったけど、どっちでもいいような気がしました。
もう、勧めない。
バリに行くことを思い描きながら友人が毎日会社に勤める事は「もったいない」ことではない。
どこに居たってどんな風だっていいではないか。重ねる人生は素晴らしいに違いはない。
自分が好きにすればいいんだ。「今を満喫」しよう。
今を精一杯満喫しよう。
(つづく)