つもりの共有
「つもりの共有」
これが出来てないなあって思いました。
放射線のことをどんなに教えたって、一生懸命話し合ったって、一番最初にどういうこだわりや考え方でいるのか、何を信じているのか、何が問題だと思っているのか、どんな理由でどんな願いを持っているのか、わかってないのに進めていっても噛み合ないんだなぁと。
子どもと学ぶ本を作ろうと考えながら思い至りました。
1ベクレルを嫌がる理由にその1ベクレルが持つ原発事故由来というのが大きく関係しているのに、健康への影響がいかにわずかであるか、自然放射線量との比較という理由を延々と説明されても説得力がないの。
「わずか」という感覚も、放射性物質のもつ由来を無視しては話しになりにくいんじゃないかな。
私は、原発事故によって上乗せされる放射性物質の中でも『原発由来の放射性物質を、避ける手段があるのに強制で子どもにわざわざ与えるのはイヤだ』という心をもっているし(補足/いま、学校の事を考えています。お家での考え方ではありません。)、それを叶えると出てくる問題もみなで話し合って解決していくところまでの「つもり」もある。
自分で選ぶ大人は、どんなリスクを選ぼうが自由だと思っている。でも、子どもが将来自分で選べるようになった時に、どの考えを持っても気持のいいスタートが出来るように選択枝を守っておくのが役目だなぁっても思う。
学校とかはそういう理念でいられる世の中を、全国みんなで協力してつくっていきたいなって思う。
たぶん、「つもりの共有」で深められる部分が放射線だけでなく色んな場所にあります。
いろんなアイデアが湧き湧きしてイソイソしています。
(補足)私が今考えているのは、色んな考えが出会ったときどう解決していくか、話し合った結果、同じ考えにならなくても方法があるってことです。
只今公開深め中。まだまだ深めます。