人生のクセ

さいきん、人のクセについて考えている。
たぶん、私たちはひとりひとりクセの強い人なのではないか。
同じものを見ても聞いても、ひとりひとり感じ方が違う。
これは、幼少のころからの習慣や環境で、信じているものが違うから反応も違うのではないか。
人生のクセみたいなもんだ。
それは当然のことで、ちっとも問題じゃない。
けれども、世の中は「違うとおかしい」という前提で出来ているから、
前提に無いことが『問題』ろされてるんじゃないか。

自分のつもりと違うことと出会った時に、みんな違うって知っていれば「なんでだろう?」ってだけ思うのに、まるでそれが間違いのように嫌悪感が生まれる。当たり前のことに、いちいち反感を持つことになっているように思う。
『なんでそんな考え方なのっ!あんた変じゃないの?』って呪がかかる。
変じゃないよ。そういうもんだ。
だから、誰かが違う考えを持ったり、思いもよらない反応があっても、自分の考えは脅かされない。
自分の考えが常識だと思ったりするから妄想の問題がいつまでもからみついて混乱させる。
妄想で阻まれるのはもうたくさんではないか。

話しあうのは、それぞれのクセが出会った時に気分悪くないよう調整することだと思う。
どっちが善でも悪でもない、避けたり畳んだり納めたり、工夫するだけ。

自分が悲しく思っても、腹が立っても、おおくは自分のクセでしかない。
って考えるとつじつまがあうなって思うんだ。
同じ考えを持つことで解決してきたけれど、
これからの新しい方法は、違った考えのあいだに起きることを、あい(パソコンが壊れて漢字変換が出来ん)を持って調整していくんだと思う。

どれもこれも2011年の東日本大震災から深めてきたこと。
心がこれ以上痛まないように。
辛く悲しいことが、せめていくらか報われるのにどんな変化や進化があれば希望となって立ち上がれるか探し続ける。

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