きゅうりちゃんと都知事選を考えた

うらやましい東京都知事選挙。
2月の9日ですね。
わしはうつけんがスキじゃ。
けど、きゅうりちゃんは、「誰でもだいじょうぶ〜」という。
実はわしもそんな気がしてきた。

なんでそう思うのか、
誰でも大丈夫な状況ってどうなればいいのか考えてみた。
(最近はカンを検証研究する順番。まあまあするどい。)

今までの選挙のやり方を、いや、選挙自体をすっかり忘れてみてね。
そうじゃないと、勝つとか負けるとか、頭から離れん。

今回の選挙は脱原発が争点とかいっちゃっとるけど、
そもそもわたしらは、
「全てのいのちが満足して生きられること」を望んどると思う。
全ての問題や願いは、こう表現出来ると思う。
脱原発はそのために越えていきたい全ての中のひとつやて。

いのちの満足って、
イヤなことを他から強制されないこと。
自分の好きなライフスタイルで生きる自由。
自分が扱われたいように扱われる権利。

そのために、人は生きる。
そのために、人は学ぶ。
そのために、人は知恵を活かす。

誰かが代表になったら、代表になれなかったチームの願いは叶えられなくていいの?
そうじゃないよね?
私たちは多数決はちっとも公平じゃないって知っとるよね。
大勢が優先されて少数が切り捨てられるのは、不自然だって知っとるよね。

それならば、
本来選挙で行うことって誰もが叶えるために考え合うことに役に立たなきゃ。
誰の考えに従うのか決めることじゃないはず。
関わる人たち全ての考えが表現され、どう願いを叶えていくかを考えるイベントなんじゃないのか。
ほんとは知恵を出しあうための東京都チームの議長を決めるだけで、多数決にまけた人の考えもあったりまえに議題に上るんだよ。

選挙って、勘違いしてるよね。
しあわせを考えることが、勝ち負けであるはずが無いよ。
考え方として戦争とまあまあ似とるよ。

選挙ってこれでいいの?
「私たちの社会ってこれでいいの?』
色んなことを考え直すよう、3月11日が全力で教えてくれたんだと思っている。

誰に決まったって、それで誰かが我慢したり強制されたりしてはならないんだ。
それを考えるために今があるんだと思うよ。
常識や習慣を脱いでいい。
考えは進化していいと思う。

だから!

誰に決まっても遠慮はいらない。無視していい意見など無いんだから。
選挙で選ばれても選ばれなくても、誰の権利も等しく尊重される。
参加していけばいい。
都知事にもじゃんじゃん意見を言って一緒に考えていけばいい。
そこ、うっかり忘れちゃダメよ。
「これでもう手も足もでない!」なんて思わなくていいのに思うのは止めようよ。
鎖に繋がれていないのに、身動き取れないみたいに振舞うのは止めようよ。
たもがみちゃんが当選したら、もっとパンチのあるアクションがでてくるね。
アピールスキルが大至急アップするかも知れん。
家入くんに決まったら若者が立ち上がるかも知れん。ぜひチームワークで支えたいね。
細川さんに決まったらそのために犠牲にしたものをひとつひとつ拾ってじっと手を見ることも出来るやろう。
宇都宮さんに決まったらスパルタで民力があがると思う。
そのほか誰に決まっても(まとめてすまん)、全員間違いなく何かが足りないから補わんといかんのよ。
困難が無い方法はなくて、困難は育つ伸びる進化の栄養だと思う。

誰に決まっても、もれなく育ちまくりだ!

何があってもどんな状況でも、この社会はチームワークなんだ。
選挙に勝てばこっちのもんとか、ないですからっ!
名護市長選挙のときも思うたけど、落選した人の願いも丁寧に考えるのが当然なのよ。
いのちが納得できるってことに手をかけるのを惜しんではいかんと思うのよ。
どっちが奪い取る!じゃ無くて、冷静なミーティングが出来る船頭を決めるってことだと思う。
選挙の意味を変えていかないかん。

『決まったら変えられん。従え。』なんて、われわれの辞書には何処にも書いてないでね。(われわれっておもしろい響きっていっつも思う)
うっかりだまされんように、な。

社会はそれぞれひとりひとりの『いのちの満足』を願いあい、助けあうためにまとまってるんだと思うよ。
いまの仕組は時代遅れだ。デザインし直そまい。
叶うまで、叶ってもうっかりわけのわからんとこへ行ってしまわんよう、考え行動し続ける。
わしらは世界をつくっていくことに毎日参加しとるんだ。
すんげークリエイション♪
夢中になるよ。おもしろいもん。

いいなぁ〜、都知事選。投票したいなあ。

tochiji

 

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