今、考えている事メモ(心のこと)※11/8追記あり

ひょっとしたら、何か、とてもおおきな思い違いをしているのかもしれない。
イヤな事をイヤと言って、好きな事を好きと言って、したい事を手伝いあう。
壊してしまって放っておかれるのを蘇らせたいなら蘇らせて
誰がやったとか誰のせいとか考えもせず。
その時々にしあわせはあるし、
実際得難いよろこびを得ている。

どうなんやろう。
私は今しあわせだと思うぞ。
しあわせに生きるのがどういうことか考えたら、
もうほとんどしあわせなんじゃないのかしら。
「イヤな事はイヤだと言って、スキな事はスキだと言って、
したい事を手伝いあって、蘇らせたいものを蘇らせる事が出来る。」
まだこれから、やっていない楽しみな事はたくさんあるし、
未熟だから成長のよろこびはきっと死ぬまでつづく。

もし、ここを離れなくてはならなくても離れる事が出来る。
いいたいことも言えるし、叶えたいことへの努力も出来てのろいけど後退は無い。
なんで「しあわせな未来」に居ないとして頑張るのか。
お金がスキなのは私だったかもしれん。
だから、無いと心配になる。
どんどん必要だと思うことが要らなくなって、新しくステキなことが産まれる。
何も持っていない事が、足りないものが無いことと一緒なんて、なってみないとわからんもんだ。

私は「いのちをまもること」でなく「いのちが満足していること」が大事だと気がついて探求している。
いのちが満足するというのは、どんな状況でも在るのではないだろうか。
それは、自分が確信を持って生きているとき産まれるんじゃないんだろうか。

2011年のあの震災から、困った事辛い事悲しい事じゃなくて、困った心辛い心悲しい心が
心配で心配でおろおろしてしまっていた。
私は、出来事じゃなく心がそれを感じさせるって子どもがいなくなった時に知ったから。
心に注目すれば、どんな状況でも這い上がれるから、ここでもその方法を探していた。
私がしたように、自分の心を濯いでいけば状況は変わらなくてもしあわせを減らさず生きられる。
今まで感じなかったしあわせも感じる。
しあわせにならないと不幸だという事から解放される。
そうしたら自由になって、思った事を行動に移すのが楽になる。
選択肢が増えていく。
どこに暮らすのもどう生きるかも自信を持って選べる。

ダメな事なんて本当に無い。
自分の意志でなく委ねた時にだけ不具合が起きる。
トラブルを避けて服従するのではなく、トラブルは服従しているから起きるってこと。
不幸は冤罪によっても起きる。
疑いを持って取り調べのように挑まれても、
説明する体力も無く、それを打ち破る心の強さも無い時に。
知ろうとすることに、一滴の疑いも無く愛のある好奇心で尋ねていったら
多くの人は打ち解けると思う。
ダメな事なんて本当に少ない。

人が不幸になったって関係ないや!って思う人はそうそう居ない。
おかしなことを言うのにも理由があると思う。
一対一で、一滴の疑いも持たず愛のある好奇心で向き合っていない限り、
妄想のワルモノを育ててしまう。
妄想にを、怖がったり威嚇したり、境界線をつくって分断したり、して、困り果て悲しんで辛くなってるのだと思う。
成長の途中で、誰もがもれなく妄想の森を迷いさまよっている。
この人のいう事こそいい考えだ!なんてことは、今はまだ無いし、そんな考えを必要としなくて揺るぎない自分の考えを他に優しく持つために成長の実験を、のびのびと続けていけるのが、私の描く未来のような気がする。

きゅうりちゃんがいう、「ダメなことなんてどこにもないよ。」
わたしもそうかもしれないと思う。そうなのか、検証していく。

もちろん、心だけの問題とか思っていない。
心がタフになれば、出来事なんて片付けていけることを見越してる。
今まで思いつかなかった壮大なアイデアも可能になる。
放射性物質がそこに在ること、状況の改善と対処は粛々と続けていく。
それと同時に見えてきたことも粛々と日々の中で。

私たちの心は、たぶん。
津波の前から、波に飲まれ流され方法が無く服従しとったんだと思う。
だから、いま、越えられぬほど苦しいのだと思う。

(まだまとまらないけど、これが説明できるほど整理されていくと思う)

たぶん、考えているのは
もっといますぐ、楽になることが出来ると思っている。
どこかにお願いする前に、ちょこっと思わぬ方向から考えて心を元気にして、
勝手に自前で出来ることで、元気力エネルギーを蓄えて
走っていったほうが、鼻歌も歌えるんじゃないかと思う。
私がいつも考える「楽しくいこう!」が誰かを傷つけないか、苦しくさせないか、ジッと観察してきた。
人のポテンシャルは、想像通りもっと高い。

愛だけでは生きていけんけど、愛だけで生きていけんのは
その愛も常識や偏見の鎖につながっとるせいで、
放てるところは自由にしたら、けっこう霞もおいしいかもしれんと
思う。
霞にも、まあまあ匂いくらいはついてきた。
この感じならもうじきおいしい霞料理で栄養も取れるようになる。

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