「つもり」のこと

選挙が始まって、私もうっかり「考えていない人に考えて欲しい」とか思っちゃって、イロイロ取り組んできたのだけど。なんか、ちょと、アレ?って思いました。
私はどういうつもりでいるんだろうって。

勝手に「ぼやぁ〜っとなんにも考えないちゃんが、うじゃうじゃ居る」想定をしてる。
呼びかけにはその想定がにじみ出ちゃう。
じゃあ、私が呼びかけられる側だったらどう思うかしらって振り返ると
包み隠さずぶっちゃければ「おばかさんたち目覚めて選挙に行きなさい」ってことで、
え?いきなりおばかさんかよって思ったと思う。

じゃあ、なんで私は政治や社会の問題に関心を持ったかというと、自分が見つけた問題を掘り下げていくうちに、そこで知り合った友人たちと話をたくさんして、彼らの本気の取り組みを見て納得して「必要だ」って考えたからだと思う。
そこには、アナタも行きなさいよ、とか、こんな事も知らないの、とか、そっちよりこっち、みたいな話はぜんぜん無くて私から求めて知っていった。もちろん、彼らが発信してくれたから楽に知ることが出来た。
そこには、真剣に考えてて偏ることも熱くなりすぎることも、安心して見ていられる信頼関係があった。

私もただぼんやり生きているわけではなくて、日々自分の中で取り組んだり考えたりしていて
同じ時期に同じ問題にたどり着くわけじゃない。

そんなこと考えていたら、注目しているのが人のことじゃなく自分のことになって、
私が体験したことを整理したり、自分のやってることや考えを深めていってれば、
副産物として広がりが生まれるんじゃないかなって思い始めた。
そんなに変わらないよ、やることも考えることも。
でも、「つもり」がちょっと変わってきた。
焦らないで待てるタフな自分になりたくなった。

世の中がどんなことになったって、方法があるのを私は知ってる。
東日本大震災が起きたとき、最も助けたのは法律でも命令でもなくて、一人一人の心やった。
根性悪い人って想像してたより少なかったなぁって。いまごろ、なんなんだけど。たくさんの人と知り合って、話してみると想像してるより世の中はきれい。けど、世の中は汚いよって聞く。
でも、見てるとうつくしいんだけど、違うんだろうか。
もっとうつくしいつもりで生きていいんじゃないか。
「つもり」を修正してイソイソ重ねる。

「〜にちがいない」が、やっぱり邪魔になったというお話。
これはまだ続きで考えてることがある。
また深めていく。
どんだけん深海。でも、楽しみ。

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