まだ考えとる。死のこと。

数日前に書いたけど、身内が倒れて緊急手術になって夜中の手術室の前ですごしました。
明日で一週間。医師の予告を無視しての回復ぶりで、毎日が倍速の成長を見るようです。有り難いです。

手術の夜、生死がわからぬ状態で気を揉んでる時に、友人から電話をもらって、彼も閉じていく命を抱かえていることを知らされました。
そんな偶然を話す気になれず、しばらく話して電話を切りました。

死なないで、どうかどうか生きていて欲しい。

何で死ぬのと生きるのと対局で考えられるのだろうか。
人は必ず死ぬのに、何故こんなにも悲しく心が痛く恐ろしいことなのだろう。
死を軽く考えると大切に生きられないからだろうか。
でも、こんなに辛すぎると愛する人が死んでしまったら悲しくて生きられなくなりそうだ。それなのに、もんのすごく苦心して乗り越える。
中には乗り越えられない人もいるし、乗り越えても多くの人は悲しみとともに生きる。
生きているよろこびと、死は切り離せんだろうか。
死ぬということが心に痛すぎる。身が張り裂けそうだ。
愛すれば愛するほど打ちのめされる。

義理妹の死や母の死を、私は何かわからん「もんのすごくおおざっぱなもの」で越えてる気がする。「しょうがない」とか「時間が経つ」とかでは説明がつかないものだと思う。なんかDNAに刻まれてるとか?
はみ出ちゃった部分は、悲しむことを悲しまないという、禅問答みたいな方法で折り合ってる。

なんか、釈然としない。
なにか、まだ見つけていないものが在るような気がする。

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