世界平和を考える
【自由に生きることを邪魔されたり奪われたりしないこと=世界平和】
望むように自由に生きるときに起きてくる他者への影響をみんな考えんといかんよ、ということなのだと考えている。他者が自分の思うように生きていないことはポイントでないのよね。
基本どう生きるか自由だったら、人々はもっとわらわらお好みの環境へ動けないとたいへんめんどうなことが多くなる。
自分のやりたいようにする時に、他者への影響を考えるのがデフォなら政治に無関心でも、基本姿勢世界平和だよな。後は大船に乗って政治のことは任せられるように、自分の存在を勝手に利用しないよう釘さしといてくれればいい。基本姿勢世界平和ならいろいろ調和がとれる。
望むように自由に生きるときに起きてくる他者への影響をみんな考えることできてる?ということなら、みんな同じテーマで自分のことになる。イスラム国のテロとか、差別問題とか、震災や放射能による被害とか、売られたり植えたり殺されたり、死んでいく人のこととか、分けない。(差別問題を考える時に差別してしまうことも解決出来る)
望むように自由に生きるときに起きてくる他者への影響をみんな考えることできてる?この考え方でいくと、自分の気に入る善悪で考えることは不可能で、辛い人は減っていくはずだと思う。寛容も生まれることが可能だし何もしないことは何も影響が無いこととではないのがストンと誰の腹に落ちると思う。
私自身が考える善きことも悪しきことも(言い換えれば偏見)、同じ条件で影響を考えていけば、私の願いを叶えることに最短で近づく。私はどうしても自由に生きることを邪魔されたり奪われたりしないことを叶えたいので、ずぅ〜〜〜っと、叶うはずの自然な目的が叶わないのはなぜかを考えてここに至る。
やっとこさ、人生の時間を十分に使って考えていくことだなって思えるようになったので、心の揺れや状況に対する不満が少なくなった。切望することに対して行動するのは容易い。叶うまでやるだけなのだわよ。
(いちいち確認しながら勇気つけてやってかないと、あたしだって恐いわよ。)
(自分の弱点を補強することもず〜〜〜〜っと考えてきたので、このように工夫をしている)
画像は「考え方のツボ」ってことで。うはは。