肺呼吸軍とエラ呼吸軍のたたかい
「習慣というものは罪は無いけど、それぞれ違う自覚が無いと問題を起こす。」
Twitterで書いたら思い浮かんだ物語である。
なかなかおもしろかったので導入ツイートもいっしょにメモしておこう。
こうやって絵本のアイデアの芽が吹き出すのです。
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習慣というものは罪は無いけど、それぞれ違う自覚が無いと問題を起こす。
この場合「自覚」して面白がればいいと思う。
「え〜っ!キミ、エラ呼吸なの?どうやるの?」って。
「エラ呼吸なんでダサイし、しんじられないっ!」ってなるとやっかい。
で、肺を移植しないと不幸だと思ったりする。いらんせわじゃ。
肺呼吸で水中に対応するのと、エラ呼吸で陸上に対応するのと、コストと利便性についての議論が始まる。
こうやって肺呼吸VSエラ呼吸の戦が始まるのであった。
【肺呼吸軍とエラ呼吸軍のたたかい】
「われわれ進化した肺呼吸党としてはぁ〜」
「伝統的エラ呼吸党は野蛮な肺呼吸を許してはならないとぉ〜」
わが呼吸法こそ最善だと肺呼吸する者もエラ呼吸する者も譲らない。
いよいよ戦争となり
肺呼吸軍、エラ呼吸軍ともに多数の死者が出て大惨事となる。
決着はつかず、もはや両軍の核爆弾のスイッチしか残されていない。
そのとき、地が割れ海が割れ、神が現れて言った。
「好きな方でええじゃん」
両軍は我に返り、固い握手を交わす。
多様であることを良解し、尊重する条約が結ばれることになった。
すると、
物陰からエラ呼吸でも肺呼吸でもない者、酸素を必要としない者たちこそこそと現れ、
「やっと日の下を歩ける」と涙したのであった。
そして、互いの能力を活かし合って、末永く幸せに暮らしたのであった。
めでたしめでたし。