「おそかったのぅ。科学よ。」by先人の知恵
何人かの放射線の専門家さんに数年くっついてみて、科学というのは私の全く知らない考え方や常識があって、その世界を知るのはとても難しいと思った。
ガラスバッジの仕組みがわからなくて聞いた時「ネットに絡みついたエネルギーの痕跡を抽出するというのが一番近い表現でしょうか」と言われ、さらにわからなくなってしまった。いつも瞬時に創造される脳内ビジュアルはアミに乗った焼きモチみたいであった。
私にとっては科学もおまじないも時には同じに感じることがある。
放射線の常識だけでもかるがると私の常識を超える。
最近見た映画の中で、学者が研究の過程でインディアンの知恵とかおまじないみたいなこととかを説明するような発見に出会っていて「説明がつかないような過去の知恵に科学が追いついてきた。」と言っていた。科学が先を行くのではなく。
全部が全部そうではないけど
確かに私も「説明がつかないような過去の知恵に科学が追いついてきた。」場面に出会う。
出来事には必ず理由かあるし、「なぜそうなっているか」を知ることが昔から好きだった。私は自分が理解しないものを人にすすめたり信じ切ったりするのは好まない。けれどもバリ島になんか居るとどうしても説明のつかないことがある。解明するのが楽しみだ。
昔からの不思議はそんなにオカルトでもなく
科学の持つ数字の知性はそんなにファンタジーから遠くないんだと思う。
思い込んでいたのとこの世はずいぶん違うみたいで発見と驚きの毎日はとてもアドベンチャー。
なんでこんなことを書いたかというとニセ科学の叩き方が非科学的だからだ。「科学的じゃない」とか言ってもどっちも似たようなもんなので楽しんでよろこんで分析すればいいのに。どっちにしても理解しようとする方が間違いや事故が少ない。
そして「不思議だけどいいんだわ」と簡単に納めすぎと思う。教える方も素人にはわからないからと諦めすぎと思う。昔の人は生活の中の科学や生物学を知っていたと思う。知恵を残すためにはさぼっちゃなんねぇ。