削除しない
「こんなこともわからないなんて、使えない人だ」
「あんなこともわからないなんて、どうかしている」
「何回言っても直らない。言わないとわからないなんて」
「あの人がいると、場がめちゃくちゃになる」
「仕事以外の意図でわがままを言ってる」
大変そう。
先日も知り合いの職場でのそんな話。
何があったのか、聞けば気の毒ばかりである。
ご苦労しておられた。
けれども、「理事長がその人を削除しない方針でいくって決断したからやっていくしかない」と、
どう平静を保つか頭を抱えていた。
会話に入るよう促されたので少しわたしの解釈を伝えた。
「そのひとは珍種ちゃん」
人として欠落があるわけでなく、多くの人が持つ思考の部品がいくつか無くてわからないのかもしれない。
部品は皆同じように持っているわけでなくて、どの人も違うけれど目立つところが欠けていると、問題が起きたりする。悪気も悪意もなく、新しく出会ったのは、新種で珍種なんだよ。きっと。
よく見渡せば、珍種ばかり。
わたしもどうやら珍種。珍種の生きやすい社会がいいなぁと。
わたしはさらに思う。
理事長はなぜ削除しないのか。
他のスタッフも大切だろうに、やめるように、やめさせるようには考えないのか。
条件によって排除することのが「差別」だから。
どんなひとにも、満足感じられる仕事を。
誰もが役立つ喜びを感じられる社会を。
境目などなく、みな同じ人。わがままだとか、気が利かないとかで、悪人だとかで剥奪されないものを「権利」と呼ぶ。
この施設は、障害をもつ当事者とその周りの人々が人生を充実したものにするための施設。
理事長、スタッフの皆さん、ふぁいとぉ!
珍種ちゃんも、珍種でいいから心溶けますように。
大きなお月さんに祈ってみました。