マイノリティーが手つなぐ時が来たんじゃないか

全ての人が、自分の思うように生きることが出来る世の中を目指す。

たとえ自分と考えは違っても皆でそれに協力する事を惜しまない。

そのときに、他を犠牲にすることの無いように。

自分の望むように扱われること。

自分が生きたいように生きること。

みんな同じ願いではないか。

母性は(男性も女性も、子どもを持つ、持たないに関わらず)愛するものを守りたいと願い

障害を持つ人も、その周りの人たちもずっと自分たちの願いが叶えられず戦ってきた

セクシャルマイノリティーと言われる人たちも、自分たちの自由が受け入れられず

全てが偏見に抑圧されてる。

芸術に生きる人も、離婚した人、結婚せず子を持った人、他にもイロイロあるけど

いわゆる通常と違うとされる人たち。

私たちは、押さえ込まれて

自分たちも、同じに認めて欲しいと思ってきたけれど、

本当はそうじゃなくって、誰かと同じものが欲しいのではなくて、

そのままでも大丈夫でいたいだけなのではないか。

そこで、息をするのを許されるように自分の望むように生きたいのだ。

誰かが認めようが、認めまいが、そんなのどうでもよくて認められる事に価値なんか無い。

自分が理解できなくても、そういうことはただそこにある。

その人が、自分の望むように生きたいんだと思う。

放射線を避けようとする人が、ブチあたってる困難は、ずっと昔から少数で捨て置かれた人たちの抱えてる問題と同じだった。

 

「認めて!ほら、放射能ってこんなに危険なのよ」っと、ちょっと違っている。

放射線からの守られ方も、

自分の常識をみんなの常識にするのではなく、異差を認め、尊重し、協力したい。

そのなかで、自分の納得いく生き方を深めていくのに集中したい。

それ以前の、偏見が大きすぎて問題解決が遠くなっているように思う。

基本の基本がブレてる気がするのよ。

(放射線については、加害者が居ることが大きく違うけどそこは別でつっこむ)

 

放射線の影響がどれほどか、誰にもわからない。

それゆえ、どれも安全も危険も証明できない。

意見が分かれ、自分の思うように守りたいものを守ることが出来なくなった。

今まで捨ておかれていた少数派に多くの人が仲間入りをしたのだ。

ひどく汚染されていない土地に住んでいても、どこでも被曝できる今の日本に暮らす人は同じだと思う。

これからはもっと多くの人が偏見を受けることになると思う。

望む結果は同じでも「これが正しい、これこそ正義だ」問いう考えでは

私は、偏見の場所を移動させる事にしかならないと思う。

自分とぴったり合う常識しか許さない正義。

我こそが正しいと思う正義。

それが、偏見と差別を産んだんじゃないだろうか。

 

障害をもって生きてきた人には、自分の持つものを受け入れる事を学べるかも。

ゲイとして生きてきた人には、ユーモアとセンスのいい明るい切り返し方を学べるかもしれん。

母子家庭で子を育ててきた人には潔い強さを、それぞれ必要なものを交換できるかもしれん。

放射線と戦う大勢の人が感じているジレンマは、皆の共通の悩みだと思う。
それぞれの苦しみや、葛藤がわかるんじゃないかって思う。

手を取り合っても、私がゲイやレズビアン、障害者になれるわけではない。

けれど、みんなもれなく好きなように生きられるよう(私もね)協力できないだろうか。

すっごく自由で華麗でハッピーなことが出来ないだろうか。

 

私たちは、強烈な偏見に押さえ込まれている。

その偏見は、自覚無く潜んでいる。あまりにそのなかで出来た仕組みに馴染んでいるから

本当は、個というマイノリティーの団体がマジョリティーだと気がつかない。

マイノリティー度が高い人だけはじき出されていただけで。

自覚無く世の中に馴染んでいるだけで。

 

ピンクのスカートが好きな人が多いから、ピンクのスカートばかりつくるようになって

黄色のスカートや青のスカートがある事も選べることも忘れてる感じ。

ピンクばっかりつくれば安くなるけど、そのために黄色や青のスカートが作られなくなるのは違うわよね?

黄色や青のスカートを我慢させてお安く手に入れるのはうれしくない。

もしか、私が好きなスカートがピンクで、多少お高くなっても七色のスカートを作り続ける世の中でくらしたい。

手間無くソコソコ満たされていれば、他人を顧みない。

それじゃあつまらんなあと。

いろんな宿泊施設があるように、選べてそれぞれ関心を持ち合えたら気持がいいだろうなぁって思う。

三ツ星ホテルや、ドミトリー、ツリーハウス。

異差が不自由でない暮らしを目指したい。

 

で、それがほどよい連携で確立されないと私は具合が悪い。

『私たちっておんなじよね!」『こうじゃ無くちゃダメよね」が苦手だから。

同じであるわけが無く、「〜でなければならない」思考はもう一つの偏見な気がする。

身近だからこそ、こういう衝撃が大きいとよぼける。

裏切るかもしれない、否定されるかもしれない、そう恐れるから強く結びつきたくなるのか。

誰が正しいなど無いのに。

同じに思わなくてもさびしい事じゃない。一緒にくっついてなくても心の距離は変わりない。

そこも考えている。気になるのは私にも弱点だから。

 

放射線とは遠いようで、とっても近い話し。

「放射線平気だと思ってるの?そうか、私はそう思ってないからお互いに選べる方法はないかな。」

熱の入れどこが定まってない。

解決できない迷宮に落ちて疲れきるか、また違う偏見を生むだけで変わらぬ状況になるような気がしてる。

それはそれで、必要なプロセスかもしれないけど、私は自分がそれを越えることに立ち会いたい。

ぜんぜんまとまっていないけど、考え中も書きとめていくので、ここで公開。

 

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