何が起きても動じない準備。
もしかこの先、
どこかと戦争を盾に何かを起すつもりがある。
(日本は核武装可能で最強の海の自衛隊を持っている)
海外への放射性物質の汚染を追求されない出来事が起きる予定がある。
(東京に汚染は無く、放射性物質のコントロールできていると自信満々に国際舞台で発言した安部ちゃん)
経済破綻が起きる予測がある。
(オリンピック事業は国のお金を企業へ移せる方法として選ばれたのじゃないか。オリンピックで経済回復は出来ないとの見方が近年は強い。)
健康被害は先送りにしておけばこれらの混乱の中ではうやむやになる。
あとのことは考えなくていいとしか思えない。
とにかく、得られるだけのお金を得て、来る混乱に備えるつもりじゃないのかしら。
のなら、今の動きは納得がいく気がする。
何が何を信じていれば、今目の前にあることが起きるのだろう?
そういう考え方をするようになった。
子どものころの私は、世界は平和だと思っていた。
昔は殺し合う戦争があったけれど、今はそんなバカなことは無く皆いのちなんかかけないで話し合っていると思っていた。
だって、ほんとうにバカバカしいもの。
ところが、現実は子どもは売られ、たくさんの人が餓死して、ろくな住まいも与えられず
武器はどんどん生産され、戦争は続いている。
この世にはいろんな人がいる。
何を求めるか、何に満足して興奮するかも違う。
勇敢に散ることを望む人も居れば、ただおだやかに居たい人も。
どんな自分になったら何が起きても動じないだろうか。
愛するひとを守れるだろうか。
幸いなことに、私は何も持っていない。
価値が無くなって困る貨幣も、病気になってもなんとかして生き延びたいという考えも。
少しばかりの田と井戸と家を家族が持っている。
いざとなったらもう一家族ぐらい賄えるかも知れない。
おかしな妄想と思うかもだけど、
そうでなければどうにも説明がつかないんだわね〜。
何事か起きて数年を持ちこたえ生き残るのは、まんまと手を打った企業と、現在の社会システムが崩壊してもびくともしない
シンプルな生きる知恵だけを持つや〜まんな人たちと思うよ。