おかあさん

みよちゃんは、私のお母さんだったのだけど、おばあちゃんの子どもだった。
みよちゃんが意識が無くなってるとき「おかあさん」って私に言った。
子どもの気持でおばあちゃんを呼んだのだと思う。
介護しながら色んな話しを聞いた。
子どものころの事、おばあちゃんが何度もみよちゃんを心配して出かけてきた事とか。

みよちゃんはずっと、お母さんだからまず子どもの私に大きいイチゴや美味しいところを分けてくれてた。
病気が重くなってきて、私がみよちゃんに一番を分けるようになった。
みよちゃんも当たり前に一番を食べた。
お家の事もお金の事も、お母さんと子どもは逆転した。
うれしくもあり、さびしくもあった。

みよちゃんの中にも、子どものみよちゃんが居てみよちゃんのお母さんが居る。
「お母さんに心配かけないように」みよちゃんもがんばった。
私もみよちゃんに「お母さんに心配かけないように」がんばった。
私もみよちゃんも、自分ががんばったと思っていたと思う。
けど、お母さんになったからって懐がとつぜん大きくなるわけでもなく、スーパーパワーが身に付くわけでもなく、
経験を重ねた子どものままの私たちは、抱かえた物をボロボロこぼして
子どもたちにもがんばらせてた。(子どもにその自覚があったかどうかわからんが)

じゃあ、今そう思った私は我が子に何を望むか。

心配かけてもいいから、迷惑もかかっていいから、どうか、ひとりでしんどい思いをして抱えんで欲しいと思う。
他所で「ちゃんとしよう」とがんばるのだから、私の所ではちゃんとできてなくてもいいから
泣いたり笑ったり拗ねたり怒ったり、どんな風でもいつでものびのびしてても1ミリも嫌われたりしない楽園のように思ってて欲しい。
人生は、いつも産まれて初めての事がじゃんじゃんやってきて
上手に出来りゃラッキーで、出来なくっても、実はうまくいかない時のほうがその先の人生をより豊かに育てるのだから
失敗した時のりこえる知恵を一緒にあみ出す仲間で居たい。
本当に心から愛しいと思ってる人を思って出来事をのりこえる時、
関わる誰もに死んでも役立つような宝物が産まれる。

だから、最近の私はみよちゃんのお世話が要るからと、やりたい事はがまんしなかった。
結果みよちゃんの寿命を縮めても、ほんとうに必要だと思う事は、止めなかった。
みよちゃんが寂しくても悲しくても、私が真剣にはりきっていくのを必ず喜んでくれると信頼してた。
お母さんも子どももどんなに間違っても何があっても、愛しくて愛しくてしょうがない。
どの立場でも、文句をいっても拗ねても怒っても悲しんでも、愛しいは溢れて止らない。

ぐるぐるとその時々で子どもになったりお母さんになったり、おばあちゃんになったり、3つの心が重なったり。
子どもとして、お母さんに抱きしめられる時のしあわせを、おばあちゃんに会ったみよちゃんが味わっていると思う。
それが心底うれしい。
私も死んだらみよちゃんにべたべたまとわりついて、気が済むまで抱きしめてもらいたいと思う。

幸い今私は生きているから、子どもたちをこの世で抱きしめられる。(イヤかも知れんが)

【補足】
このように、深海数億メートルの深い愛を持っているのじゃが、
夢中になる事があると、抱きしめられたくても、私という母は出かけておったりして、
留守な時もあるのである。
これもまた、私なのである。

コメント (2)

  1. 読んでいて、涙が目に溜まって視界が塞がりました。
    大切なことを教えて下さってありがとうございます。
    ウメ(猫・もうすぐ20歳)や私の母が一生を終える時には、
    私も、ミサトさんのように頑張りたいと思います。

  2. yugi misato より:

    日々悩んだり迷ったり、繰り返しです。
    決して十分ではないけれど、いつまでも繰り返しこうやって考え深めていくのが生きる事で、過去に終わってしまう事など無く全て続くんだなって思います。

    フェイスブックでかわいい猫ちゃんたちの様子見てます。
    ウメちゃんどうか長生きしてね。
    つくられる子猫ちゃんたちもすばらしく愛しいね。

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