「わかった」のことをくわしく
「わかった」に書いた事を詳しく書きとめておく。
http://www.mikanblog.com/?p=4569
この世には、悪いことや直さなきゃいけないことはない事にした。って書いた。
もちろん、このままだと不都合な事はいっぱいあるし、
こうなるといいなってこともある。
けど、自分以外に「あんたそれ、ちがってるわよ」って変えようとしない実験をする事にした。
やってる事も言ってる事もそんなに変わって見えないかもしれない。
もともと、「自分が変われば世界が変わって見えるのではないか」というのを追求してるから。
けど、どぉしても心の中に「ああ、まちがってるじゃないか」って思ってしまう。
間違ってしまう事を心配して、足りてないと思う時に私の中にも外にも発生する「黒っぽい心」があるのに気がついたからだ。
じつは、この、黒っぽい心がくせ者なんだ。
正しくない事(自分がそう判断してること)を見つけると、青空に雲がかかるようにウキウキした太陽を遮ってしまう。
はっきりしたのはこんなことがあったからだ。
私がずっとすばらしいと思っているその人は、多くの人に誤解を受けていた。
誤解がその人の道を阻んで、多くの人に役立つ事が広まらない。
その人には何の落ち度も無くて、誤解する人たちの偏見と見聞きする事への読みの浅さが原因だった。
私は出来る限り誤解を解くようはりきった。
久しぶりに会ったその人は、私に受けている苦労の大きさとその人々への批判を話した。
そこには、他の誤解を受けている人の事も含まれていた。
「ちょっとまて、それには賛成出来ないぞ」と思い、頑固な私は反論した。
その人を守りたいと願った心とまったく同じように、含まれていた同じ誤解を受けている人の事を思った。
偏見の連鎖を断ち切りたいと普段から心を痛めていたから。
ふわっと、私の心と外に雲がかかった。
「だめだよ、まちがってるよ。なおしてほしい」と思った瞬間に。
その人が、なぜそう思うか、これまでの苦労や数々の裏切りに対する残念な気持、
走馬灯のように駆け巡って、それらを話すには時間もなく、愛ゆえに同じ連鎖が起きる事へのショックと。
言葉が出なくなって、私の中の明るいきゅうりちゃんが弱ってしまった。
上手く伝えられないまま、帰ってきてしもうた。
気になった事は揉まれず、心がすれ違った事だけが濃く残ってしまったように私は感じた。
もやもや心の雲は晴れない。
「正しい」を追求する私の偏見が黒い影を発生させたんだと思った。
私はあのときどうすれば華麗にゆかいに表現出来ただろうか。
偏見に惑わされなくするには、何があっても動じないどんなドロドロした困難も気持ひとつで華麗に切り抜けていく
きゅうりちゃんのような心で居ればいい。
ワルモノも偏見も最悪に見える出来事も、きゅうりちゃんには息の根を止めるほどの影響出来ない。
私はそこを目指していたのだから。
ひとつづつを、いちいち考えていくのは必要だけれど、
捕らわれてこだわっていく事はいらない。
私のチカラを弱めたのは、私のもつ正しくないといけないっていう偏見が発生させた黒い影だったと思う。
きゅうりちゃんの愛しいは溢れ続ける。
全ての間違いという回り道もぜんぶひっくるめて、回り道さえも宝探しにしてしまう。
だったら、間違いなんて無いじゃないか。
誰もちっとも間違ってなんかいないじゃないか。
それをしっかり信じたいから、実験をしてみる事にしたんだわね。
私の目的は、とっても壮大やけどカンタン。
それが一番の「誰もがもれなくいのちを満足して生きること」が出来るのを感じて生きられる方法だし。