妄想で火あぶり

 

いまだに、私がイラストを描いた放射線の本を紹介すると、監修の木村真三さんのことで批判のコメントが書き込まれることがある。
私は妄想で人の足を引っ張る行為はダイッキライだ。わたしゃたいへん怒っている。

いちばん多いのは「こいつが子どもの基準値を40bqにした張本人だ!」
次が「そこに住むことを勧めている御用学者だ」というものだ。
果ては「エートスだ」と。

何言ってんだよ。

いちいち妄想に腹を立てても仕方ないと思うけれど、これはヤバイんじゃないかと思う。
国に対して意見するのに、それを動かすシステムの理解が出来ていないわけだから。
やっとこさ40bqに下げたのを40bqにした張本人という。
あのときあのばで、誰がどうやってそれ以下に下げられたか教えてくれ。
今のシステムだと、国に対して暫定基準を一足飛びに下げる説得力を持つ方法には、その世界の誰もが認める証が要るんだ。限界だったと思うよ。自分の持つ説得力を持つデータで、そのとき出来る限界まで下げた。それさえも他に誰も提案しなかったじゃんね。
その次、そのバトンをどうするか考えていかないかんがな。

木村さんは、被ばくはどんなものもよろしくないので避けるに越したことはないが、
事情があってどうしても、なんとしてもとどまらなくてはならないのであれば、
年間5ミリシーベルトを受けるのが、今までの研究で考えられる「我慢の限界」じゃないかと言うておられる。これは、大変な発表だ。
この発表にどんな決意が込められているか、これを言わなければどんなことが起きたか、
考えてみて欲しい。
そして、5ミリまでならええよん、ってことじゃなくて、更に被ばくを下げることを木村さんは実行している。
木村真三さんたち放射線アドバイザーチームの考えは
「低線量被ばくの危険安全はわからない、だから出来る限り気をつけていく」というものだ。
「我慢の値」を出さなければならなかったんだ。

古代から、妄想であらぬ疑いをかけて何人の人々が火あぶりになったか。
ぺらっぺらな理解で貶めて来たか。
「あ、しらんかった」で済まんぞ。
おばかなニーズでこの世の中はつくられていくんだから。
コントロールされ易いままでいていいのか。
本題への手も足りないのに、やらないかんことが増えるではないか。
でないといつまでも、心のある人に負担がかかって守られるはずの人々がこぼれていく。
私たちにはこうやって、横並びで一緒に考えてくれる専門家が必要なはずだと思うが。


なんでこうも知らないで妄想を広めるんだろうか。それで何が出来るというのだ。
そのおばかさんが、すこしずつ世の中を歪めていって、出来上がったのが今の社会なのに。
ああしろこうしろじゃなく、誰もと誰もがチームワークを組めるといいのに。
バトンは誰が受け取ってもいいし、一人では全部できんじゃろうが。
心を痛めるなら、心配するなら
じゃんじゃんお迎えに行けるように考えて欲しい。
自分のやること考えるのがいい。
いそいそ新しい人生に踏み出せるアイデアを考えて。
どうであったら、そこでのびのび暮らせるのか。
除染止まりでないはずだ。
みんなが自分の目的を持って自分で動く。
命は大事だが、それでは命があきらかに危険でないと守られない。
私は命のまんぞくを求める。
まんぞくはライフオブクオリティー。
そこまで考える愛が人を動かすし、満足の部分は誰が手伝ってもいいことだ。


木村さんへの妄想攻撃に限らず、そこら中で妄想がはびこっている。
私もいろんな人と接触がある。
誰もがスミからスミまで私にとってのパーフェクトなわけではない。
誰一人として、私の考えとスミからスミまで同じ人は居ない。
けれど、それには全部理由がある。
「なんで?」そう考えて理解していく。
足りないこと足りてること、足したり伸ばしたりできることが人と接触するよろこびでもある。
重箱のスミをつつく必要もないけど、妄想で重箱のスミどころか外つつきまくって
どうする。違うと思うなら、自分の正解に効果を与えるポジションまでいけばいい。
重箱は、おいしいお料理を持ち寄って詰め込んで、どんどん重ねていくもんじゃ。

shin01
〈蛇足ですが〉
木村さんにはじめて会ったとき、頑固な職人さん?芸術家みたいな学者さんも居るもんだなあと思いました。
何度もいろんなことでご一緒するようになって、忙しい中ではあるけどいろんな話をして日々の様子を見せてもらった。
ダイスキがせかいをつなぐきゅうりちゃんと私は、人をよろこぶこと、人に対する偏見のなさにしびれた。
一緒に放射線の調査や健康管理、放射線の学習を進めていく中で、市民に助けられた事や放射線への理解のするどさをとても褒める。

納得すれば誰の意見でも取り入れ、そのことをちゃんとアピールする。
そこに住む人の身体も心も守っていきたい気迫があふれていた。
徹底的に自分で調査したデータで考え、意見を求められても情報の確かさを検証する前には語らない。
科学と心、両方のバランスがいいんじゃないかなあ。
気に入らないと意見しに来た人も、話せばわかる、納得して帰っていく。
心ないことを言われるのは、本当に心を痛めていて、それが時には不理解に対して厳しい態度になる事もある。
差別で苦しむ事の無いよう、心を尽くしていて「今年度は出来る限り僕が直接やる!」と、自ら出前授業も行ってる。
木村さんは粛々と行っていくつもりだろうから、評価など気にしても仕方ないと考えているようで、
他者への火の粉は払うけれど、自分への火の粉は払わないようだ。
人柄なんか描かれたくないかもしれんが、私にとっては大事なので書いてみた。
もっと理解されればいいなぁと思う。

 

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