高速使わずジムニーで車中泊の旅
五十路の冒険であった。
25歳のときバリ島に二ヶ月間滞在して絵を描いていた。
バイクで砂埃の道を地図を見て走り、言葉もままならんけどエアチケットを1人で買いにいったり、初めて触れる異文化に好奇心が踊って止められんかった。絵を描く事だけに行動を制限していたような未経験すぎる私は、「このまま宇宙までも手に入れるのではないか」とさえ思った。
神のお告げで(それくらい不思議な決心で)帰国後に結婚し子どもを産んだ。宇宙を手に入れた私はそのまま進んでいくつもりだった。
のに?
子どもが産まれ結婚をしたとたんに、宇宙のことは思い出せなくなった。思い出す間もなくて、宇宙(自由で居るための歓喜と勇気だと思う)を手に入れたままだったらするだろう事だけが亡霊のように「まだなの?」「いつやるの?」「なんでやらないの?」とどろぉ〜んと湿った空気をつくって私を病ませた。「やるべきことをやってない」感覚だけが四六時中ついてまわって、子どもが大きくなったら、生活が安定したら、と不本意な状態にある原因が他に在ると信じていた。私の想像していた結婚生活と違って、 結婚するという事がどういうことか考えもしなかったから、他人と一緒に人生を進む方法も、当時のパートナーと新たに考える事も出来ず離婚してしもうた。でも、私が現代の結婚というシステムにまったく対応出来ない人だったのは、今なら解るんだけど。
まあ、そんなこんなで25歳の時に手に入れかけた宇宙を、もっかい手に入れたいと思って。2015年五十路の大冒険が始まっておる。まあまあめちゃくちゃなので我ながらおもしろく思っている。
2015年五十路の大冒険、ひとつめの行動は半ばヒステリックに、抱えていた仕事を放り投げ2月に一ヶ月バリ島へ移動してみた。どうやっても日本では宇宙から引き離されてしまう。天災のように予測阻止することができない事が起きるから。ところが!バリ島くんだりまで行っても天災は有って日本に居る以上に仕事にまみれてしまう。何かの呪いにかかっているとしか思えんかった。で、私がどこへ行っても変わらない原因として何があるのか考えてみた。そもそも「バリ島でなら出来るかも」は、私の中の原因とは思っていないわけで。私は道理は解らないけれど「私が多くを導きだせる答え」は嗅ぎ当てる能力がある。『私には宇宙を手に入れることが出来る』と答えは解っている。答えあわせから導きだした次の行動は「バリまで行って出来なかったんだから、私が学ぶのはどこでも出来るってことを知るってことじゃないか」と考え至った。
で、今度はジムニーで東北に行こう!となったのである。頂いた交通費内で旅を広げる事に。ホテル代がいつもネックだしそもそも何が必要なのかを考えたら、高速道路もベッドのある箱も要らなかった。ほんとうは、ザバイバルもエレガントにしたいと思っているのでテントや野外ディナーのテーブルも私の美意識から演出したかったのだけど、まだ美意識がお濁りになってるみたいでトンチンカンな脱線をするから何にもご用意しないでコンパクトに旅する事にして、旅のために新しく買ったのはガソリンだけ!ってことで出発。
もちろん、1人野宿は空港以外でやったことないし、300キロ以上は1人で走った事は無い。
仕事漬けで震災後は更に閉じこもり描き続けていたので、じつは身も心もかっちかっちなわたくし。見た目よりも不自由。でも、昔から気は小さいけど度胸はあるのよ。飛べるくせに恐い。無駄にひゃあひゃあうろたえながら出発してみました。
ガソリンメーターの針は上を向いてないとイヤだもんで。山越えで道に迷ったり思ったより遠くてガス欠なんて気の小さい私には絶えられません。20ℓ使わないうちに、給油!給油!給油!給油!。どんだけスタンド好きやねん。ドキドキしてるうちに山梨辺りで息切れ、ここは栃木?群馬?も、わからんまま車中泊初体験。けっこうぐっすり。
おかしいです。ゆかいです。こんな小さな車にラジエターの水足しながらカエルの磁石で窓ガラスを布カーテンで覆い、狭すぎるから買ってきた日本酒こぼしながら車中泊。ちょっと前までこんな事するとは思わなかった。駅前のコインパーキングやコンビニの駐車場、湖畔のキャンプ場どこでもそれぞれに快適な宿場。足りないものはさしてありませんでしたし強いて言えば必要ない衣類を持ちすぎたかな。
好きな場所で上る予定の無い階段を上ってステキな景色を見つけたり(写真@福島市)、湖畔で入稿出来ちゃうこの状況も必然で準備されてていつのまにか「やろうとおもえばやれるじゃん」とハードルが低いどころか無くなっておりました。そうです、バリ島から本二冊紙芝居1話入稿出来たわたくしに恐いものなどありませんでした。
こちらは日本海をバックにパッケージ折りトンボの指示確認中。みなさんはココで釣りをしてバーベキューをする場所。こちらもなんとなく好奇心で迷い込んで見つけた快適な野営候補地@新潟。
わたくし、ひとりがちっともイヤじゃなくて想像力や好奇心で退屈する事が無い。道中も山々の緑が変わる事、道の傾斜が違う事、見捨てられた土産物屋やドライブインのゾンビ化を眺め、一喜一憂憤慨愁いながらきゅうりちゃんと進みました。
まあ、そうも言っていられるのは会いたい人に会って時をすごした合間だから言えるんだろうな。
で。
今回走ったのは
1日め 出発→長野を越え群馬か栃木の名も知らぬコンビ泊(もちろん下道)
2日め 宇都宮でお風呂を頂き→那須で叫びながら→福島県突入一気に相棒2人の待つ二本松へ。なんと豪華に岳温泉泊。(もちろん下道)
3日め 二本松でイラストを描き夕刻愛しい友人宅へ突撃晩ご飯。お寺泊。
4日め 郡山でしびれる王子に合うため下道、のつもりが間違って高速へ。(なぜ)→二本松で姫が待っていたのでまた二本松へ→あ、この王子にも会わなければと福島市で屋台飲み。駅前パーキング泊。(早朝から新幹線が五月蝿いのでおすすめではない)
5日め お風呂を福島市金のゾウがいる不思議な施設で頂き、友人が紹介してくれたレストランへ。居心地がよく次から次へといろんな人が来るのでたっぷり数時間をすごし下道移動→猪苗代湖湖畔泊(べらぼうに寒かった)
6日め いざ、新潟柏崎へ(もちろん下道)→サロンむげんさんへ→塩スパでお風呂を頂いたら帰る気が無くなってモスでお仕事→柏崎刈羽原発を眺めつつ海岸泊。
7日め 新潟から長野へ下って食堂SSが気になりながらも帰宅。ソバを食べるタイミングを逃した。(もちろん下道)
新潟から長野を急ぎすぎて立ち寄りたかったところを多く残していた事に後で気がついた。
いちいちいろんな事が起きてとてもゆかいで、アクシデントでさえたのしかった。
仕事にはまったく差し支えなく、こんな移動が出来るのである。わたしったら、いつのまにかなんということでしょう。
今回たっぷりと時間をとってたくさんの人に会いました。
愛しい人の置かれた理不尽にあらためて心が痛んだり、新たな問題点や解決策が見えたり。こうやって移動し続けたいと思いました。
そして、6月はまたバリ島へ移動します。